■「令和」についての批判、恩師から激励を受ける

 日頃の研究の成果を社会に還元するべきだと考え、大手出版社と組んで「歴史講座」を企画したことがある。シリーズ全10回。「歴史を変えた人物」というテーマで聴衆を集め、講師は編纂所所員が務める。質疑にもたっぷりと時間をとる。話の内容を文章化し、書籍にまとめる。2年かけて所内の了解も得た。しかし最後に教授会で「一人の人間が歴史を変えるなんて、勘弁してくれ」と否定された。ショックだった。

 昨年出版された『日本中世史の核心』(朝日文庫)の文庫版あとがきでは、史料編纂所について触れている。

「研究者による研究者のためだけの史料編纂というのは、決して学究的・良心的と評価すべきではなく、独善的でしかない(中略)。古文書や古い日記の読解と分析を通じて得た知見を、分かりやすく、社会に発信するべきではないか」

 歴史学界で、自分の考えは受け入れられないという悶々とした思いがある。そんな本郷の性格を笑いにくるみながら分析するのは妻の恵子。

「聞いてくれる、褒めてくれる相手が欲しいんですよ。本当にかまってちゃんなんで。いまは人気者になれて、皆がかまってくれるからいいんじゃないですか」

 本郷と同じ史料編纂所教授で専門も日本中世史。天皇の生前退位に際し、政府の有識者会議から退位後の呼称について意見を求められ、「天皇との名称上の上下感を無くすために上皇とするのがよいのでは」と説明した。本郷の著作にも恵子の研究や考えについての一節が時々でてくる。研究者として、恵子の方が王道を行っていると本郷は認めている。東大文学部時代のゼミで知り合った。

「私が男子学生と話していると、嫌な顔をして、後ろに立っているんです。いまなら犯罪になるストーカーみたいに付きまとって」

 本郷に事実かどうか質した。

「僕ね、自分に自信がないんだよ。僕より魅力的な男は世の中に満ちあふれている。奥さんを他の男に接触させると絶対負けるから囲い込んだの」

 東京の下町で生まれた。母親は猛烈な教育ママ。孟母三遷を地で行くように、小学校から都心の名門、麹町小学校に通わせた。毎日電車で片道1時間。帰りは自宅の最寄り駅に祖母が出迎え、学習塾や各種稽古事に行く。ピアノ、習字、英語。日曜は絵画教室。各科目オール5は当たり前。小学校3年の2学期に理科の成績が4になった時、顔が腫れあがるほど叩かれた。運動はからきしダメ。小学校4年の時、家族旅行で京都、奈良に行き、法隆寺などの建築や、薬師三尊像、興福寺の阿修羅像に感激し、歴史少年になった。

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