中学からは、私立の名門、武蔵高等学校中学校へ。自由な学風で知られ、東大に毎年数十人を送り込んでいた。本郷は歴史と考古学のクラブ、民族文化部に所属した。部の顧問で、教諭だった大橋義房(71)は、昨年4月、新元号「令和」について、本郷がテレビで批判的に語るのを偶然見た。

「かなり覚悟して言ったんじゃないかな。あっぱれだと思いましたね」

 大橋は、すぐに本郷にはがきを書いた。

「まだ君はアカデミズムから離れていない。アカデミズムの根本にある反権力性を失ったら御用学者になる、というような趣旨でした」

 本郷は大橋以外に、もう一人の恩師からも激励を受けたと嬉しそうに語る。ただ自身は、歴史学の未来に危機感を持っている。若い人たちと接する中で、教養に対する関心の低さや歴史への興味がないことに「天を仰ぐ」経験をしてきた。東大の学生も同じだという。「30年後には、国立大学の中世史研究は無くなると思う」とまで言う。

 旺盛な執筆活動の裏に、アカデミズムの外へと自分の世界を広げていかざるを得ない葛藤を抱えている。そんな本郷が「あれは良く書けた」と言う著作がある。18年出版の新書『日本史のツボ』。「天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済」の七つのキーワードで日本史に切り込んでいる。

 たとえば土地の章。7世紀末成立の律令制の下で土地が天皇のものであり、私有は認めない「公地公民」制ができる。やがて制度は崩壊していき、私有の「荘園」が生まれると教科書では教わる。

 だが本郷は「それはフィクションに近いのでは」と疑義を唱える。そもそもヤマト王権成立以前には「公地公民」はなかった。「白村江の戦い」(663年)で敗れた日本は必死に国家建設に向かう。当時の超先進国、唐に倣って「形式」を整えたが、それは「理想」だったのではないかというのだ。狭い山国で農地は少なく、台帳に記された農地は全国で100万町歩に満たなかった。だから「公地公民」といっても実体はなく、土地を開いたものが所有し、やがて荘園が生まれてくると見る。

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