■歴史史料が多く残る日本、新しい視点の提示が難しい
反発は想定内のことではあった。炎上覚悟でこだわったのは、文字の意味合いもさることながら、いずれ令和が天皇の名前になることを懸念するからだ。「令」は、皇太子の命令の意で、「令旨」という。天皇の命令は「綸旨」。したがって天皇の名前となる元号に「令」を使うのはふさわしくないと考えたのである。
「考え方が分かれる問題には、いちいち文句は言いません。大人げないから。でも令和については学問的に○か×というレベルなんだよね。で、火中の栗を拾いに行ったら、カチカチ山の狸だよね、火つけられちゃって」と苦笑する。自民党の勉強会では“懺悔”してみせたのも束の間、こう語った。
「曲学阿世という言葉がある。学問を曲げて世に阿る。誠に恥ずかしいこと。研究者は自分の研究に基づいて思うところを述べないといけない。研究者の中にもホンモノとニセモノがいることを見抜いてほしい。羽振りのいい研究者は疑ってかかる必要があります。テレビに出てくる研究者はたいていニセモノです」
最後はユーモアで煙に巻き、再び笑いが起きた。
歴史学者としての本業は、東京大学史料編纂所教授。専門は日本の中世政治史。編纂所では『大日本史料』の編纂を担当している。
『大日本史料』は、1901(明治34)年に明治天皇の命によって編纂が始まった歴史史料で、887年即位の宇多天皇の時代から江戸時代までの期間を対象としている。12編に分けて編纂し、本郷は第5編の担当。鎌倉時代中期、1221年の「承久の乱」から1333年の鎌倉幕府滅亡まで。対象となる時代の原典である手書きの史料を可能な限り集め、活字にして残す。1年分を記述し終えるのに10年かかるという。3年分を編纂するのに30年。編纂所での本郷の職業人としての人生はそれで終わることになる。ちなみに、『大日本史料』が完成するまでには800年を要する。
史料編纂所は、東大本郷キャンパスの赤門を入ってすぐの年季の入った建物にある。そこで日々、地道な仕事を続ける研究者が広く知られることはほとんどない。本郷は、その枠に収まり切らない。
日本は諸外国に比べても歴史史料が豊富に残っている国だ。侵略され、滅ぼされたことがないからだ。しかしそのことによる弊害もある。史料に寄りかかりすぎ、記録の解釈に忠実であるあまり、新しい視点を提示したり、多様な見方を論じたりすることが難しい。史料編纂所が象牙の塔になっていると本郷は嘆く。