■井上章一と書籍で対談、緊張から何度もトイレに

 土地を開墾する人は「開発領主」。管轄は地方の役所である「国衙」。土地は領主の子孫に相続され、月日が流れる。ある時、国衙が土地を召し上げに来る。根拠は「律令」。土地は天皇のものだからと。困った子孫Aは国衙を司る中央の貴族Bに保護を求める。Aは、「毎年年貢を送るので国衙に手を引くように言ってほしい」と願い出る。口利きを頼むのだ。この時のAを「下司」という。依頼されたBは「上司」。「荘園」とはこうした関係が生じた土地のことだ。中央の貴族が当てにならない場合、領主たちは、土地を取り上げようとする相手を実力で排除にかかる。自ら武装して闘うしかない。これが武士の誕生になる。

「本郷さんの書くものはストンと胸に落ちる。お話も面白い」

 そう言うのは、本郷の本を新書で何冊も出している祥伝社の編集者、飯島英雄(52)。18年に、京都の国際日本文化研究センター教授、井上章一(65)と対談した『日本史のミカタ』を企画刊行した。中世日本について井上は「権門体制論」を押し、本郷は「東国国家論」の立場をとっていた。意見の異なる東西の研究者に自由に語ってもらうことで、歴史の豊かさを感じさせるものにできるのではないかと考えたのだ。

「権門」とは、武家の時代とされる鎌倉時代であっても、武士だけが抜きんでているのではなく、武士、貴族、寺社の三つの権力が社会を支え、三者の上には王家(天皇)がいたという考え方だ。一方、「東国」には、鎌倉幕府があり、京都の朝廷の権力は並び立っていた。どちらかが上というのではなく、東国に、もう一つの国家があったとする論である。

 建築学、社会学、歴史学という幅広い知識を持つ井上との対談に、本郷は極度に緊張し、何度もトイレに立って、同席した飯島に呆れられた。内容は神話から、平安、武家政権の時代、さらには江戸や明治時代にまで及び、時に世界史との比較も交えて縦横無尽に展開された。「横で聞いていて面白くて仕方なかった」と飯島は振り返る。

 井上はこの中で、京都の魅力として「女官」について触れている。各地の武士たちは、朝廷や有力貴族を護る用心棒の仕事のため、京都へと赴く。彼らは貢献して与えられる官職だけでなく、京都のサロンを彩る女官の魅力にも惹きつけられただろうと言うのだ。しかし日本史の研究は、「京都のおねえさん力」について触れていないと、やんわりと疑問を投げかけた。本郷は、「歴史は科学でなくてはならないので、おねえさん力を測る尺度をもたない以上、論文は書けない」と応じている。

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