「あなたの決めた道なら応援するしかないでしょ」と智恵子は腹をくくった。

 市議選に出たデニーは、2位にダブルスコアの差をつけてトップ当選を果たす。市議の任期なかばで県議を飛び越し、衆議院選挙に出馬。革新系の票が割れて議席を得られなかったが、09年の政権交代選挙に民主党公認で立って国会の赤じゅうたんを踏んだ。以後、小沢一郎を政治の師と仰ぎ、4期連続で当選した。18年9月、前知事・翁長の弔い合戦で沖縄県知事選に立候補し、首相官邸が総力を挙げて応援する候補をねじ伏せ、過去最多の39万6632票を獲得した。デニーの「強さ」を元沖縄市議の棚原八重子(79)はこう語る。

「政治姿勢が昔からまったくブレない。交付金を積まれようが、減らされようが辺野古新基地建設には反対を貫く。政治家は地盤(支援組織)、看板(知名度)、カバン(政治資金)が必要だと言われますが、彼は看板だけ。有権者の信用だけで勝っています。本物の強さですよ」

■辺野古新基地の建設の見直し求めて10月に訪米

 この1年、デニーは県職員の意識改革に努めた。沖縄に限らず、どこの県庁も伏魔殿といわれる。過去のしがらみが固着し、敵と味方が混在している。デニーは分刻みのスケジュールで職員が上げる報告と知事方針のズレを指摘し、「実効性」を問い続けた。自身の知事転出に伴う衆院補欠選挙では、あの大誤報を書いた屋良を「仕返しだ」とジョークを交えて推す。屋良は沖縄タイムスを退社し、フリージャーナリストとして安全保障や米軍の活動について情報発信していた。米海兵隊の運用を見直せば普天間飛行場の返還は可能と説く。基地問題に精通している。19年4月、出馬した屋良は自民公認候補を退け、国会に議席を得た。

「いま米太平洋軍が最も重視しているのはテロとの戦いと災害救援。テロは元からあぶりださなくては手遅れになる。そこで海兵隊はテロの温床になりそうなタイやフィリピンの山奥に入って小学校の教室を建て、民生支援を行っているんです。中国軍やインド軍も協力しています。地域住民を味方につけなくてはテロには勝てません。そういう時代です。緊張を解く役割が求められている。沖縄をアジアの平和のための緩衝地帯にしていく方向で知事と僕は完全に一致しています」

 と、屋良は語る。しかしながら、柔らかく、和を重んじるデニーの手法は、仲間をまとめられる半面、決められない弱さをはらんではいないか。

「そうですね。官邸には話し合いを求め続けていますが、じゃあ何をしたいのかといわれて、一本、これだというのは出し切れていない。まぁ県の立場では難しい。そこは僕ら、国会議員の役目でしょうね」と屋良は述べた。

 10月半ば、デニーは米国を訪れた。昨年の知事就任直後の渡米は顔見せ的要素もなくはなかったが、今回は目的を絞った。米国の1年間の国防予算の大枠は「国防権限法案」によって決められる。米連邦議会上院は、来年度の国防権限法案に在沖海兵隊のグアム、ハワイなどへの分散移転計画の見直しを義務付ける条項を盛り込んだ。

 デニーは、その見直しの対象に辺野古新基地建設を含めるよう米議会に直訴すべくワシントンDCに飛んだのだ。米議会は大統領弾劾(だんがい)やメキシコ国境の壁建設などで審議日程が乱れていたが、上下両院の10人の議員と面談できた。なかでも米政府の軍事予算を左右する軍事委員会に所属する4人の議員との対話は大きな成果だった。

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「父親捜しはしない」デニーの生き方