日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。中華の名店出身で、相模原で学生や地元客に愛される人気店の店主が愛するラーメンは、イタリアン、蕎麦の世界から「支那そばや」に行き着いた、“ちゃんとした仕事”を大切にする店主の紡ぐ自信溢れる一杯だった。
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■29歳で独立、大きなスランプはなかった
相模原の淵野辺にある「中村麺三郎商店」は青山学院大学淵野辺キャンパスにも近く、学生から地元客まで多くのお客さんで賑わっている。
店主の中村健太郎さん(33)は鹿児島県指宿市でラーメン店の息子として生まれ育つ。調理師専門学校で1年間学んだのちに、中華料理の名店「聘珍楼(へいちんろう)」で厳しい修行をこなした。その後、「麺の坊 砦」でラーメンの道へ進み、新横浜ラーメン博物館(ラー博)店の店長も務めた。全国の名店が集まるラー博では、他店の職人たちとの交流も生まれ、中村さんのラーメン作りにもより磨きがかかる。
中村さんが独立したのは29歳のとき。ラーメン店主としては若いが、「聘珍楼」やラー博での経験が糧になり、大きなスランプに陥ることはなかったという。「聘珍楼」では下積みを3年やってようやく前菜作りにたどり着き、とにかく基礎をたたき込まれた。人気店の「砦」ではラーメン作りだけではなく、オペレーションや従業員教育まで広く学ぶことができた。
「19歳からの『聘珍楼』時代に、先輩の指導のもとしっかりと修行し、力をつけさせてもらいました。基礎作りはとても大変でしたが、だからこそ今があると思っています」(中村さん)
中華の最高峰から人気ラーメン店に移り、独立。経験と努力の両輪がしっかりしているからこそ、今の成功があるのだろう。従業員が育つまでは相模原に腰を落ちつけて頑張りたいと言うが、中村さんは実家のラーメン店の今後が気になっている。創業30年以上が経ち、父は70歳手前である。
「いずれ自分が実家の店の経営やレシピなどの大枠を見ながら、誰かにお願いするなど考えていきたいと思っています。親父がラーメン屋をやってなければ今の自分はありません。『中村麺三郎商店』で自分がしっかりやっていくことが実家にもプラスになると思っています」(中村さん)
幼い頃からラーメンに触れてきた中村さんが、自分の店と実家をどう繋いでいくのか。中村さんの経験と技術が鹿児島の地元にも届く日が楽しみである。そんな中村さんが愛する一杯は、ラー博で出会った“ラーメンの鬼”と呼ばれた故・佐野実さんの弟子が紡ぐ、自信に満ち溢れたラーメンだった。