■「支那そばや」でネギ切りをさせてもらえなかった理由
横浜市神奈川区の反町エリアは知る人ぞ知るラーメン激戦区だ。反町駅から5分圏内には、「ShiNaChiKu亭」「中島家」「自家製麺SHIN」「麺処 田ぶし」「MEN YARD FIGHT」と有名店がひしめき合う。
このエリアを牽引する店の一つが「ラーメン 星印(ほしじるし)」。矢沢永吉が大音量で流れるロックな店かと思いきや、清湯(ちんたん)ながら旨味の詰まった美しいラーメンを提供している。
店主の沖崎一郎さん(42)は横浜市菊名出身だが、北海道出身の両親のもと、日頃からラーメンをよく食べていた。幼少期は夜中に目が覚めると、父が夜食にしていた「サッポロ一番」をつまみ食いさせてもらっていたという。
藤沢市の高校に通い、近くにあった名店「支那そばや」(現在は戸塚)に足しげく通った。“ラーメンの鬼”と呼ばれた佐野実さんの店で、当時は私語禁止で店内はピリピリしていた。だが、沖崎さんはバイトの給料が出ると欠かさず「支那そばや」に向かったという。
「初めて食べた時、味はしないし麺は柔らかいしで何がいいのかわからなかったんです。でも、食べ終わったあとに残る味がすごくよかった。何度か通ううちに色んな味がしてくることにも気付いて、いつの間にかハマっていました」(沖崎さん)
沖崎さんが20歳で大学に進学したとき、横浜家系ラーメンブームが訪れる。「六角家」に魅了され、一時は1日に2回行くこともあった。ここからラーメンの食べ歩きに拍車がかかり、同級生と車で名店を探す日々が続いた。「まっち棒」「なんでんかんでん」「下頭橋ラーメン」などの行列を見て、「ラーメン屋ってカッコいい」と思ったという。
その後、たまたま食べに行った実家近くのラーメン店でアルバイト募集の貼り紙を見つけて働くことに。21歳の頃だった。その店はお客さんも少なく、おつまみも提供する“お酒の飲めるラーメン屋”だった。ラーメンは作らせてもらえなかったが、ホールの仕事も楽しく、「店主と間違われるぐらいまで頑張って働こう」と思ったという。
大学卒業後もそのまま働き、ラーメンを作る店主を見て作り方を覚えていった。毎日好きなラーメンが食べられて、お客さんにも喜んでもらえ、さらにお金も稼げる。最高な環境だと感じていた。ちょうどその頃、店に麺を卸している製麺所が経営する六本木のラーメン店を手伝う話が舞い込む。これも縁だと移籍したものの、作りたいラーメンを作れる環境が整わず、結局沖崎さんは退職してしまう。