「岡のコンクリートは千年以上はもつんじゃないですか。水分量を減らすと等比級数的にコンクリートの耐用年数が増すんです。逆に粒度を増して水を多くした生コンは型枠の隅々に行き渡るから成形はしやすいけど、立体的な体力は減ります。僕らが子どものころは、建築現場のおじさんたちがバケツでジャジャッと混ぜていたじゃないですか。あれはすごく強いんですよ」


 
■16歳で心臓の大手術、徹底的に考えるようになる

 福岡県筑後市の南部、炭酸温泉で有名な船小屋温泉地区で2学年ずつ離れた姉と妹に挟まれて育った。生まれながらに心房中隔欠損という心臓病を抱えていたものの、川遊びもこなす活発な少年として周囲の友達を引っ張った。色弱で彩色に難はありながら、絵も抜群にうまかった。中学校に進んでも、勉強も含めて全てが順調に思えた。

 しかし、中学2年進級時に事情が一変した。それまで父・昭寿の勤務先である九州電力の社宅に家族5人で暮らしていた岡家は、筑後市中心部に念願の持ち家を新築した。それに伴い転校した中学校に、岡は馴染めなかった。試験中にカンニングの濡れ衣を着せられたりするなど、教員たちと徹底的に折り合いが悪くなり、3年生になる頃には試験の答案を白紙で提出するようになった。内申書がものを言う県立高校への進学も難しくなっていた。一方で、この新築と転校が建築家への進路を決定づけた。岡は完成まで1年半ほどを要した木造2階建ての建築現場に入り浸った。鋸(のこぎり)を引き、鉋(かんな)をかけた柱を組み、壁を塗り、瓦を葺(ふ)く。ときおり大工が簡単な作業を手伝わせてくれては、筋がいいと褒められてその気になっていた。進路に悩んでいた中3のある日、岡は思い出して母・啓子(80)にこう宣言した。

「高校はたぶん無理やけん、中学を出たら僕は大工で頑張って生きていく」

 母は息子に現実的な条件を出した。

「お前は体が弱かけん母ちゃん心配やけん。近くに今、家ば建てとる現場がある。そこの大工さんに頼んで柱ば1本担がせてもらえ。ちゃんと担げたら、お前が大工になるとに文句ば言わん」

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ
次のページ