柱は痩せっぽちの中学生の力ではビクともしなかった。情けなさと絶望感で目を真っ赤にして帰宅した岡は、母の言葉に救われた。

「柱ば担げん病弱なお前でも、部屋の配置や壁や屋根ばどげんすっとかを考える、よか職業のあっとたい。『建築家』って言うとよ」

 はたして岡は、その言葉を頼りに内申書も学区も関係ない国立有明工業高等専門学校の一発入試をクリアし、建築家への小さな一歩を踏み出した。登山部に入って山登りの楽しさにも目覚めたが、そうなるとさすがに持病が心もとない。どのみち手術しなければ、20歳まで命の保証はないと言われていた。

 2年に進級する前の春休み、岡は手術に踏み切った。肋骨(ろっこつ)を砕いて開いた胸から心臓を取り出し、人工心臓に繋(つな)いでいるうちに、取り出した心臓の原疾患を治す手術をして、それを元に戻して胸を閉じる。プロセスを聞くだけで気絶しそうになる大手術は成功し、1カ月半の入院を経て学校に戻った。主治医に「これでもう、この病気で死ぬことはない」と聞かされた岡は、生かされた自分の命を粗末に扱うまいと心に決めた。そして、何をするにも徹底的に物事を考えるようになった。

 数学も理科も社会も得意ながら、岡は文字を読み込むのが苦手な軽い読字障害だった。その代わり、授業で教員が話す内容を手元も見ずにノートに書き取るだけで覚えることができた。専門科目ではない社会科を5年間教えてくれた初老の男性教諭の授業が好きだった。高学年になると授業は哲学が主になり、ニヒリズムやルサンチマンという独自の概念で新たな思想を打ち出したニーチェの言葉が、恩師を通じて岡の身体に染み込んでいった。そんな岡を最も感動させたのは、同級生に教わったオーストリアの哲学者クルト・ゲーデルの「数学は自己の無矛盾性を証明できない」という不完全性定理だった。簡単に言えば数学には答えがあるが、その正しさを数学自らが証明することはできないということだ。これを岡はこう捉えた。

「なーんだ。答えがないなら人類は永遠に悩み続けていいんだ」
 

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