■相当な負けず嫌いの性格 原点は「走ることは楽しい」
土江は、桐生の速さを生み出す身体的特徴の一つに足首の硬さがあると語る。
「簡単に言うなら、足首が硬くしゃがめないので和式トイレが使えない。だから接地時に、地面からの反力をロスなく身体に伝えることが出来る」
またロンドン五輪で日本代表のチーフトレーナーだった後藤は、ハードな練習をしてもすぐに身体が回復する治癒能力の高さをあげ、まだ怪我にならない「未病」の段階からケアしていると言う。
「陸上短距離は、ほんの少しの身体感覚のずれやコンディショニングの狂いが影響する究極の競技ですから、ケアは入念にやります。彼の身体の状態は自分の身体以上に知っているつもり」
短距離走で唯一道具と言えるのがシューズだ。そのためどの選手もシューズには徹底してこだわる。究極のシューズは素肌感覚で地面の反力を最大限に伝えられるものと桐生は言う。シドニー五輪で100メートルとリレーに出場し、チーム桐生でスパイクなどを担当している小島は、自分の経験から桐生の要求を理解し、素材選びから関わる。一つのシューズを完成させるのに2~3年はかかると小島は語る。
「理想の靴を作って、1000分の1秒を縮めるため全身全霊を捧げている桐生選手に応えたい。ただ、一つ完成したとしても、体の変化、あるいはスピードが違ってきたりすると、また違う靴を要求され、靴作りは終わりなき戦いです」
20年に向け、靴底からピンを無くした究極のスパイクを製作中という。
チーム桐生のスタッフは、その道のトップランナーだ。彼らの知恵や経験が桐生の才能を磨き続け、速さを生み出しているといえる。
だが土江は、桐生の才能にいち早く目をつけ、アスリートとしての基礎を作り上げたのは、高校時代の恩師・柴田博之(56)と語る。土江は大学入学時から指導者になったが、「柴田先生が育てた桐生という逸材を開花させられなかったら、僕は陸上界にはいられないと覚悟した」と語ったほど、桐生にとって高校時代は大きな意味を持つ。
桐生は中学時代に全国2位になったことがあるが、つま先で走り走行中に上体が反り返ってしまう癖があった。柴田はフォームを矯正させるため、速く走ることより基本練習を徹底させた。洛南高校は京都有数の進学校。そのため校庭は狭く、直線も80メートルしかない。日々の練習メニューはミニハードルや三段跳びのようなバウンディング。桐生が不器用だったという高校時代を振り返る。
「ハードルは跳ぶテンポが分からなくて躓いたり、バウンディングもリズムが分からない。むちゃくちゃ恥ずかしかったので懸命に練習しましたね」
柴田は、今でも桐生のがむしゃらに練習する姿が目に焼き付いていると言う。
「彼は相当な負けず嫌いで、出来なかったら出来るまでやる。試合でも一番にゴールをしないと自分が許せない。そんな性質が実力を引き上げた」
桐生は背骨がS字になっているため、腰痛を起こしやすかった。柴田は、知人の医師に3週間に1度、桐生の手首や足首など可動域のデータを取ってもらい、それに沿った練習メニューを作成。柴田に磨かれた原石は、高校2年の国体で10秒21を記録してユース世界最高を塗り替え、高3の春に10秒01をたたき出した。