陸上競技を「かけっこ」と言う。記録に挑戦するのはかけっこを広めるため(撮影/今祥雄)
陸上競技を「かけっこ」と言う。記録に挑戦するのはかけっこを広めるため(撮影/今祥雄)
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 2017年秋、日本学生陸上競技対校選手権大会で桐生祥秀が、100メートルで9秒98の記録をたたき出した。高校の時に走る才能を見いだされ、常にトップ選手。期待は大きく、試合に勝っても記録が出ないと、観衆からため息が漏れた。日本人には越えられないと言われていた「10秒の壁」を破った桐生は、また走る楽しさを感じている。東京五輪まで駆け抜ける。

 東京オリンピック・パラリンピック開催まで1年を切った。いつの時代も“五輪の華”と称されているのが陸上100メートル。道具を使わない生身の人間が、いったいどこまで速く走れるのか──。これは万国共通の普遍的な興味だ。そんな注目競技とあって、東京五輪陸上100メートル決勝戦のチケットは13万円と、全競技の中で最も高い価格で売り出された。
 
 今、陸上界が熱い。生命保険会社が昨年、全国の子どもたちを対象に「大人になったらなりたいもの」を調査したところ、男の子の7位にお医者さんと並び陸上選手がランクイン。前年度の36位から大きな躍進を遂げた。ちなみに1位サッカー選手、2位野球選手、3位学者・博士。
 
 人気牽引(けんいん)の立役者の一人が、日本人選手で初めて「10秒の壁」を破った桐生祥秀(きりゅう・よしひで)(23=日本生命)だ。リオ五輪400メートルリレーで山縣(やまがた)亮太(27)、飯塚翔太(28)、ケンブリッジ飛鳥(26)と共に日本チーム初の銀メダルを獲得して日本中を熱くし、その熱も冷めやらない2017年9月、日本人の長年の夢だった10秒を切る9秒98をたたき出した。
 
 いったん堰(せき)が切れると流れは速い。サニブラウン・ハキーム(20=フロリダ大)が19年6月、全米大学選手権決勝で9秒97を記録し桐生の日本記録を更新、7月には小池祐貴(ゆうき)(24=住友電工)がダイヤモンドリーグ・ロンドン大会で9秒98を記録し桐生に並んだ。長年、「日本人選手には無理」と言われていた9秒台に、今や3人も顔を並べる。陸上界が熱くなるのも道理だ。
 
 日本人で初めて9秒台の世界を覗いた誇りなのか、それとも根っから天真爛漫な性格なのか、自分の日本記録がサニブラウンに抜かれたというのに、桐生の声はコロコロ弾んでいる。

「悔しくない訳ないじゃないですか。でも、自己記録を保持しているより、自分より先を行く選手を抜いてやる、と考えた方がモチベーションも湧くし、テンションも上がるじゃないですか」

 桐生は会話中、一瞬も目を逸らさない。しっかりと視線を定め、次から次へと言葉を繋ぐ。人を飽きさせない話術は巧みだった。そしてその表情は、天下晴れのように一点の曇りもない。

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