チーム桐生のメンバー。左から後藤、土江、桐生、小島。彼らの共通認識は「東京でファイナリストになる」。桐生は1000分の1秒を縮められるなら何でもやると宣言。4人はオンラインゲーム仲間でもある(撮影/今祥雄)
チーム桐生のメンバー。左から後藤、土江、桐生、小島。彼らの共通認識は「東京でファイナリストになる」。桐生は1000分の1秒を縮められるなら何でもやると宣言。4人はオンラインゲーム仲間でもある(撮影/今祥雄)

■遂に日本人初の9秒98 「チーム桐生」も男泣きする

 同走者には成長著しい関西学院大学(当時)の多田修平がいた。多田の応援団がスタート席に陣取り、「桐生に勝てるぞ」と檄(げき)を飛ばしている。その声は韋駄天(いだてん)の本能に火をつけた。

「かけっこの一番は誰にも渡さない」

 号砲と同時にいち早くトップスピードに乗り、そのまま駆け抜けた。掲示板には9秒99の表示。間もなく9秒98に訂正された。会場から「ウォー」という地鳴りのような声が上がる。歴史的瞬間に立ち会った歓喜の声だった。遂に扉が開いた。長年、日本人の夢だった9秒台。その瞬間、桐生の心に沸き上がったのは、喜びより安堵だった。

「日本人で初めて9秒台に入るのは自分だと信じていた。一部では、日本人が10秒を切るのは無理と言われていましたけど、歴史の扉をこじ開けるのは自分だと。自分を裏切らずに良かった……」

 だがすぐ、安堵が心震わす喜びに変わった。自分を支えてくれたコーチの土江、トレーナーの後藤勤(45)、アシックス社員で桐生担当の小島茂之(39)という「チーム桐生」の3人が男泣きしていた。高校3年春に記録した10秒01からの4年半、自分だけでなく彼らも闘ってきたのだと改めて知った。

 そもそも176センチとそれほど体格に恵まれていない桐生がなぜこんな偉業を成しえたのか。そこには「チーム桐生」スタッフの叡智が注ぎ込まれていた。男子短距離オリンピック強化コーチでもある土江は、桐生の身体に合ったピッチ(足の回転数)とストライド(一歩の長さ)の適正値を研究し、そのための体力作りを桐生に課した。10秒01から9秒98までの差は距離にすると僅か30センチ。その30センチにたどり着くまで薄紙一枚一枚を重ねるような努力を続けてきたのだ。

 ちなみに、日本のリレーが強くなったことにも土江は貢献した。それまで「スムーズに」とか「スピードを殺さないで」と観念的に語られてきたバトンタッチを、前走者と次走者のスピードダウン、スピードアップの最適値を求め、1回のバトンタッチにつき0.2秒、アンカーまで3回の計0.6秒の短縮に成功した。最近の日本のリレーの強さにはそんな裏付けがあったのだ。

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