■森下佳子 (もりした・よしこ)


1971年/1月、大阪府高槻市生まれ。2歳下に弟。父の方眼紙が転がり、母のピアノが2台あるような家だったが、「うちは貧乏だった」。ボロボロの車で河原にキャンプに行くのが、一家のレジャー。楽しみは漫画を読むことで、自分も描き、物語を作っていた。小学校から成績はほぼオール5。
81年/小5で茨木市へ。家が小さくなるなどいいことのない引っ越しは、父の恩師が校長になった小学校へ転校するため。横並びの教育を推進する高槻市よりもいいと、母も賛成。「子どもにしてやれることは教育を受けさせてやることだけ」と、両親の考えは一致していた。
86年/大阪教育大学附属池田高校に入学。同級生に、「向上心を絵に描いたような」丸川珠代。
90年/東京大学文学部入学。栗本薫が出た早稲田の一文に進学したかったが、「金がない」と父に懇願され断念。芝居に明け暮れ、オフィーリアを演じたことも。仲間と立ち上げた「パンパラパラリーニ」の旗揚げ公演は、シェアハウスで暮らす5人の女性の物語。
94年/リクルート入社。超多忙な編集の仕事は、性に合った。「あそこは私を真人間にしてくれました」。9月の連休に俊と出会い、その日から3日飲み続けてプロポーズ。
95年/6月に結婚。その後、2本芝居をつくり、俊も出演した。
98年/フリーになって、「シナリオ・センター」に通い始める。習作をボンボン出して褒められる。
2000年/遊川和彦の指導のもと、1月から放送の「平成夫婦茶碗」で脚本家デビュー。第1話の視聴率22.2%を「ゾロ目だ」と喜んだ。
01年/「お前の諭吉が泣いている」、映画「プラトニック・セックス」。
02年/独り立ちして書いた「東京庭付き一戸建て」の数字がとれず、フリーライターに戻る。
04年/「金スマ」のミニドラマを書いているときに声がかかったのが、「世界の中心で、愛をさけぶ」。「やれることは全部やろう」と覚悟して書いたドラマは当たった。
06年/東野圭吾原作「白夜行」を書き終えて、長女薫を出産。
09年/村上もとか原作「JIN-仁-」
13年/重松清原作「とんび」。朝ドラの「ごちそうさん」は、大和和紀の『はいからさんが通る』へのオマージュ。
15年/「天皇の料理番」
16年/カズオ・イシグロ原作「わたしを離さないで」
17年/「おんな城主 直虎」、映画「花戦さ」
18年/「義母と娘のブルース」

■島崎今日子
1954年、京都市出身。ジェンダーをテーマに、人物・時代・メディアなど幅広いジャンルで取材・執筆活動を続ける。著書に『安井かずみがいた時代』など。最近刊は『森瑤子の帽子』。

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