■家族でご飯を食べながら、「ママのドラマ」を見る

 起死回生の作品となったのが、2004年放送の「世界の中心で、愛をさけぶ」だった。会社に反対されながら石丸が強引に起用した森下の脚本はわかりやすく、台詞に強さがあった。この作品で森下は、書いた以上のものがそこに生まれるドラマ作りの醍醐味を味わい、以降、売れっ子の仲間入りをする。そして06年、石丸と組んだ2本目の「白夜行」を書き終えると、それまで怖くて作れなかった子どもを産もうと決める。

「私がやりたいと出した原作で、苦労しましたがものすごく達成感があった。中途半端なままで産んだら、きっと『あんたのおかげで』と子どもに当たってしまうと思ってたので、これで産めるなって。脚本家、やめるつもりでした」

 もちろん、書ける脚本家を世間がほうっておくわけはない。「JIN」の完結編を執筆中、娘の薫を迎えに行った保育園で、園児たちがライバル番組「マルモのおきて」で人気のダンスを踊っていたのに激怒した、など森下らしいエピソードを折々に残しながら、良質のドラマを次々生んできた。

 取材最後の日、自宅で俊に会った。彼は料理が苦にならないようで、食事の最後にデザートを用意するためにそっと席を外した。薫によれば「うちはママファースト。パパはママに怯えてる」。妻の才能を愛し、その成功をわが事のように喜び、森下の両親や友人に「よく見つけた」と絶賛される夫である。渡部篤郎によく似た俊は、言う。

「いえいえ、僕があのとき、3千円でベンチャーに投資したんです」

 作品が放送される時期は、家族でご飯を食べながら「ママのドラマ」を見るのが習慣だ。「公開処刑のようなもんですよ~」と森下はテレるが、石丸は「あの家族はドラマの話ばかり。2人で散々飲んだあと、森下の家に行って夫と娘も交えてまたドラマの話をするんですよ」と呆れる。なんと恵まれた環境か。それでもまだ世界が微笑んでいるとは思えないのだ。ネットでたたかれると、「家族だけが認めてくれればいい」「薫さえ幸せなら後はどうでもいい」と口にしてしまう。何かあると、漫画とテレビを相手に閉じこもる。

「自分の存在を認めてもらいたいという気持ちは、人間どれだけ逃げても、どれだけ達観しようとも、どうしようもなく追いかけられてしまうもの」

 なぜ生きづらいのか。自身にもわからない。ただ、それはこの時代を生きる女たちがどこかに抱える共通した感覚ではないか。だからこそ、森下佳子の言葉は届いていく。(文中敬称略)

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