■27歳でシナリオ学校へ、「平成夫婦茶碗」がヒット

 こんなクソみたいな地元の高校に行くか。塾に通い、のめりこむように深夜まで勉強した。授業中に居眠りしながら100点をとり続けた生徒は、卒業式の日、「その性格直さないと後悔する。これ読みなさい」と学年主任から渡された三浦綾子の『塩狩峠』を焼却炉に投げ込んで、中学を出た。

 選んだ高校は大阪のトップ校、大阪教育大学附属池田。尚子曰く「くいだおれの人形のような服」を着て入学式に臨んだ森下は、家に帰るなり「しっかり目立ってきた! 本望や」と満足げなため息をついた。世界は微笑み出した? が、自由自律を校是とする高校は居心地がよすぎて、早々に成績競争から離脱。世はDCブランドブーム、服作りに夢中になる一方で、子どもの頃から好きだった少女漫画に耽溺する。萩尾望都、青池保子、木原敏江、吉田秋生らの作品をむさぼるように読みながら栗本薫の書くBL小説にハマり、「JUNE」に自作を投稿するほど夢中になった。

「その言葉はなかったけど、腐女子ですよね。ずっと創作物の世界はいいなと思っていました」

 天才少女漫画家たちの思索と言葉を血肉とした森下は、やがて自らも創作の世界へ向かうのだが、1浪して入った東京大学では脚本家としての主軸を見つけている。宗教学のゼミ、名前も覚えていない先生の「古今東西人間の行動様式は変わらない。信じているものが違うだけ」という言葉だ。

「私とあなたの考えが違うのは信じているものが違うだけで、どちらが悪いわけでもないんだってすごく納得した。『直虎』では、どの家も家が生き延びるための正義で動いている。敵味方イコール善悪ではないと、そこは留意して書きましたね」

 といっても森下が、東大で勉強に励んだわけではない。むしろ勉強した記憶はない。時は小劇場ブーム、場所は野田秀樹を生んだ聖地・駒場となれば、彼女が目指す場所は決まっていた。

 入学してすぐ演劇サークルに入って役者をやってみたものの、華のなさはどうしようもないと痛感。作・演出をやるために3年のときに仲間とプロデュース集団「パンパラパラリーニ」を立ち上げた。仲間にして親友の長谷井涼子は、森下はいつもとっちらかっていた、と苦笑した。

「粗削りでしたが脚本のセンスは最初からありました。難しい言葉を使わずに、人の心に残る台詞を紡ぐことができた。それは今も変わらない」

「アホみたいに楽しい日々」にも卒業という終わりはやってくる。長谷井に言わせれば、森下はリアリストにして東大女子。貧乏してまで演劇という夢を追いかけることはなく、茶色のスーツを買い、とりあえず有名なテレビ局と出版社、広告会社を受けてはみたが、就職氷河期に突入して全滅。社会から拒絶される不幸を全身で味わっているときに、リクルートへの就職が決まった。

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