日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。和食の世界からラーメン界に飛び出し、支那そば一本で27年間駆け抜けてきた店主の愛する一杯は、100年後のラーメン文化を変えようと麺の真の旨さを追求する男の究極の一杯だった。
■東京「ちばき屋」店主が震災復興に乗り出す
江戸川区葛西にある「ちばき屋」は1992年のオープン以来、あっさりとした支那そばが老若男女から愛されている。“半熟煮卵”の元祖として、90年代からのラーメンブームを支えてきた。店主の千葉憲二さん(68)はラーメン界のレジェンドの一人としても知られている。
千葉さんが生まれて初めて食べたラーメンは、地元の宮城県気仙沼市にある「かもめ食堂」のラーメンだった。目の前には魚市場があり、朝食を食べる人たちで毎日賑わっていた。あっさり系でほっとする味わいの支那そばが人気で、まさに「ちばき屋」の原点ともいうべきお店である。
ある時、千葉さんは気仙沼でご当地ラーメンを作らないかと誘われ、久しぶりに「かもめ食堂」を訪れた。「博多一風堂」の河原成美さんや「くじら軒」の田村満儀さんも一緒だった。千葉さんが子どもの頃からこの店で働いていた女性は「お姉さん」からおばあさんになっていて、この店が続くのは長くないかもしれないと思った。河原さんは「千葉ちゃん、このお店継ぎなよ」と笑いながら提案をくれた。
そして、「かもめ食堂」は2006年に惜しまれながら閉店。それから5年後の11年3月11日、東日本大震災が気仙沼を襲った。
居ても立っても居られず、千葉さんはトラック2台に物資を積んで気仙沼に向かう。津波で流されてしまった故郷を目にして絶句した。空き店舗になっていた「かもめ食堂」も跡形もない状態だった。
港にひとつ明かりを灯したい――自分にできることはないかと考えたとき、千葉さんは「一風堂」の河原さんの言葉を思い出した。「かもめ食堂」が復活すれば、地元の人たちの笑顔を取り戻せるかもしれない。千葉さんは、あの「おばあさん」を訪ね、「かもめ食堂」を継がせてほしい、と頼み込んだ。こうして「気仙沼 かもめ食堂復活プロジェクト」がスタートした。