イラスト:オカヤイヅミ
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 私はふだんは自炊で中食もほとんどしないので、外食をするのは編集者との打ち合わせ、2、3人の友だちと基本的にひと月に一度の着物を着ての会食のみである。うちの20歳を過ぎた老ネコが、昼間でも私が外出するのをいやがり、夜の外出となると大声で鳴き続けて大騒ぎになるため、必然的に両方ともランチになってしまった。しかしそれでも、毎食、代わり映えのしない、つましく料理ともいえないおかずを作っている私にとっては、とても楽しみなひとときである。

 特にグルメでもなく、食べ歩きの趣味もなかった私は、外食に関してはとても意識が薄かった。学校を卒業してすぐに勤めた広告代理店では、同僚の女性社員が「表参道のイタリアンレストランに行った」と興奮して話していたり、「評判の創作料理の店に行った」と得意げに話したりしているのを、とりあえずは、

「ふーん」

 と聞いていたが、内心、今考えれば彼女たちに対して失礼な話だが、

(どこが楽しいんだか)

 と思っていた。もちろん私もまずいものよりは、おいしいものを食べたいとは思っているけれど、それは流行の店での外食という意味ではなかった。駅前の精肉店のおばちゃん手作りのコロッケ1個でも、おいしいものはおいしいのだった。

 今はSNSがあるので、店側の態度が悪いとすぐに拡散するが、当時はそんなものはないので、ちょっと有名になった店は、だいたいが高飛車で感じが悪かったようだ。行った同僚たちが、

「あの店は料理はおいしいのに、店員がとても感じが悪い」

 と怒っているのを聞いて、

「それじゃ、行くのをやめれば」

 と私がいうと黙ってしまった。それで社内の廊下での立ち話は解散になったのだが、それを横で聞いていた先輩が、

「流行の店に食べに行ったっていうことが、あの子たちにとっては重要なんだよ。だから店員の態度にも我慢してるんだよ」

 といった。そういう店は料理はもちろんのこと、場所、雰囲気の分も上乗せになっていて、値段が高いのである。実家から通っていたとしても、安月給ではとても行けない店だった。それなのに嫌な思いまでして、見栄のために感じの悪い店に通うなんて理解できなかった。

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