シンガポールで9カ月暮らしたあと、小学2年生でまた親の転勤で香港に引っ越しました。転校生に対する通過儀礼のようないじめはあったけれど、今度はすぐに収まって、仲のいい友達もできました。そこで私は、安全な立場を手にしたのが嬉しくて、いじめる側に回りたくなったのです。標的を囃し立てるいじめっ子たちの尻馬に乗って声をあげ、強者になった気分を味わいました。みんなに取り囲まれて泣いている子を見て、ついこの前まで、シンガポールのスクールバスの中で同じように泣いていた自分を思い出しました。胸がズキズキしたし、すごく怖かった。怖かったけど、これで惨めな自分を帳消しにできると思ったのです。

 そこで標的の女の子の机に自分のノートを入れ「なくなったノートがこの子の机にあった! 盗られたんだ!」と濡れ衣を着せてみました。ところがすぐ隣にいた男子に自作自演であることを見抜かれ、今度は私がクラス中の罵声を浴びることになったのです。そのとき私を見つめていた、あの標的にされていた女の子の強い眼差しは忘れられません。いじめるやつは強者なんかじゃない、とあのとき身をもって知りました。自分が取り返しのつかないことをしたということも。

 小学校3年になって、算数で躓きました。毎日出されるドリルの宿題が嫌いでならなかったのです。まず、見た目が退屈でした。2羽のセキセイインコの写真がついた青い表紙のドリルは、開いてみたいという興味をまるで起こさせないデザインでした。加えて、ページにはただ数字しか並んでいません。映像のイメージを伴わないものは、私にとっては砂漠。加えて、さほど興味があるわけでもないことをひたすらやるというのも性に合いませんでした。同じ理由で漢字の書き取りも嫌いだったのですが、数字よりは映像のイメージが浮かびやすい、というか漢字自体が一つの図柄でもあるので、多少はマシでした。

 大人になってから数学が得意な友達と話していたら、彼女は「数ってなんて美しいんだ!」と思いながら解いていたそうです。逆に国語の授業では「決まった答えがあるわけでもないのに先生の思い込みを聞かされるなんて意味不明」と、すぐに眠くなっていたのだとか。解釈の違いに面白さを感じる私と、摂理に美を感じる彼女。抽象的な概念の取り扱いの得手不得手だけでなく、美的感覚の違いって、大きいよなあと思ったのでした。私は万物を支配する摂理に敬意を払うけれど、複雑で屈折していて、暗く邪なものを内包しているのに光を求めずにはいられない人間の得体の知れなさを、つい美しいと思ってしまう。そんな気持ちで人と接していると必ずや面倒なことに巻き込まれるのであまりいい趣味ではないのかもしれないけれど、性分だから仕方がないですね。

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