「魚介豚骨は現在ラーメン界のメインストリームからは離れ、狭い世界となりました。工場で作るのではなく、お店で毎日炊く魚介豚骨をもう一度文化として広げたいです」(齋藤さん)
愛する魚介豚骨にもう一度火を灯すべく、「GOTTSU」は今日もトップを走り続ける。そんな齋藤さんが愛し、「一番通っている店」として挙げたのは、“ラーメンの鬼”と呼ばれた故・佐野実さんの最後の弟子が紡ぎ出す、汗と涙の一杯だった。
■ラーメンの鬼が弟子をとる意外な“基準”
13年12月に中野の鷺ノ宮駅近くにオープンした「らぁ麺 すぎ本」もまた、「ミシュランガイド東京2017」から3年連続ビブグルマンを獲得している名店だ。鶏、豚、魚介をバランスよく合わせたスープは旨味が複合的で、まろやかな中にもキレがある醤油ダレと合わさり、得も言われぬ美味しさを繰り出す。
店主の杉本康介さん(41)の最初の就職先はカラオケボックスチェーンだった。エリアマネージャーとして各地の店舗を巡る日々。仕事に不満はなかったが、会社で出世しても雇われの身は続く。それよりは、自分で商売をやってみたい。自分は社長になるんだ、そう思うようになった。
ちょうどその頃、アメリカのドーナツチェーン店「クリスピー・クリーム・ドーナツ」が日本にも進出、新宿に1号店をオープンし、連日大行列を作っていた。独立の前に新しい会社が大きくなる流れを身をもって学びたいと考えた杉本さんは、入社を決意する。30歳の頃だった。
新宿店に2年間勤め、お店が成長していく様子やノウハウが積みあがる過程を見ることができた。そしてこの頃から、「ラーメンで独立したい」という思いが湧いてくる。実は杉本さん、高校の頃からラーメンの食べ歩きを続けるラーメンフリークでもあった。横浜家系ラーメンの「壱六家 横須賀店」(現在は閉店)に衝撃を受け、「吉村家」「環二家」など家系の名店を回りに回った。ラーメンのガイド本を買うようになってからは家系以外も食べるようになり、1日2杯ペースで食べ歩いた。10年間、年500杯ペースで食べてきた大好きなラーメン。これを仕事にできたらどんなに幸せだろう、そんな思いだった。
杉本さんには、35歳までには独立したいという思いがあった。ラーメン業界で一番厳しいお店で修行し、ダメなら諦めもつくと考え、32歳のときに「支那そばや」の門をたたいた。
「支那そばや」は“ラーメンの鬼”とも呼ばれた佐野実さんが1986年に創業したお店だ。スープ、麺だけでなく、具材・器・製法など全てにおいて妥協を許さない姿勢はテレビにも取り上げられ、ラーメンファンのみならず一般にも広く知られた存在だった。
面接を受けに杉本さんがお店に向かうと、佐野さん本人が待っていた。給料や働き方、志望動機などをすっ飛ばして、佐野さんは一言こう言った。