支那そばやの山水地鶏ワンタン醤油らぁ麺(筆者撮影)
支那そばやの山水地鶏ワンタン醤油らぁ麺(筆者撮影)

「お前、ラーメンが好きなのか」

 反射的に「はい」と答えると、

「じゃあ、いつから来る」

 面接はこれだけだった。

 こうして杉本さんは、10年春から「支那そばや」で働き始める。佐野さんからは「3年はやれ」と言われ、杉本さんも当初はそのつもりだった。しかし、修行は想像以上に過酷だった。労働時間は15時間、しかも食事以外はほとんど座ることはできない。家に帰って寝ていても、足がつることもしばしばだった。他の従業員はみんな当たり前の顔でこなしているように見えたが、自分はとてもじゃないけど、3年はもたない。

「1年でマスターするしかない」

 誰よりも早くお店に行き、仕事の前に自分で買ったネギを刻んで練習した。麺の代わりにタオルを濡らして湯切りの練習もした。営業中は師匠や先輩の手つきを見て、見よう見まねで毎日一人で特訓した。

しばらくして、佐野さんから突然声をかけられる。

「これで練習してみろ」

 そう言って、タオルを使うくらいならと、安価な材料で作った練習用の麺を渡してくれた。嬉しかった。さらに気合を入れて練習する日々が続く。こうして徐々に腕を上げていった杉本さんは、お店のラーメン作りも任せてもらえるようになった。

「すぎ本」の杉本さん(筆者撮影)
「すぎ本」の杉本さん(筆者撮影)

 修行開始から1年が過ぎ、ラーメン作りの技術はかなり身についた。杉本さんは「他を見てみたい」と佐野さんに退職を申し出た。「去る者追わず」が佐野さんのスタイルだと思っていたが、行きつけの寿司屋に呼ばれ、こうたずねられた。

「今、お前が他に行っても勉強になんかならないぞ。何が不満なんだ」

 給料がもう少しほしいことと、製麺を覚えたいことを伝えると、了承してくれた。こうして修行を続けるなかで、大切なことに気付いたという。

「食材の扱い方やスープの温度、炊き方すべてに意味があるのに、僕はただの“作業”としてやっていたんです。なぜその工程が必要なのかということまで、考えるようになりました」(杉本さん)

 それ以来、ラーメンへの向き合い方も変わった。3年半に及ぶ「支那そばや」での修行を経た13年6月、いよいよ独立したいと佐野さんに告げると、佐野さんはこう言ってくれた。

「俺と同じものはできないだろうが、お前には俺より美味いものが作れるかもな」

 杉本さんにとって、最高の褒め言葉だった。こうして杉本さんは独立に向け、歩き始める。物件を探し始めて数カ月、西武新宿線鷺ノ宮駅の近くに、家賃・広さをクリアする場所が見つかった。土地勘はないが、駅からも近いと勢いで出店を決めてしまった。13年12月「らぁ麺 すぎ本」はオープンした。

■師匠が弟子に放った言葉

 味のコンセプトは、老若男女が食べられるバランスのとれたラーメン。地元に根付く味を目指した。オープン初日に来てくれた佐野さんは、ラーメンを口にして一言こう言った。


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