それまでも私が付き合った相手というのはわりと仏心のある人で、ずいぶん運が良いなと思っていたのですが、もしかしたらそれは仏心ではなくてある種の優越感だったのかもしれません。強い不安を抱えて行き場をなくしている者と、誰かの拠り所になることで自尊心を満たしたい者が出会えば、信者と教祖のような形になります。中でも夫は一緒にいると「私のような至らない者にこんなに優しくしてくれる人は、きっと世界中でこの人だけだ」という気持ちになるのです。なんてありがたい、よくできた人だろうと思い、それを口にもし、友人にも言って歩きました。こちらを責めたり貶めたりすることは一切なく、ひたすら受け入れてくれるのですが、そうされればされるほど自分の至らなさを痛感し、多大な恩義を感じるのです。もともと自己評価が著しく低いので、こんな嫌われ者の自分が愛されるなんて奇跡のようなことだと感動しました。

 3年半の同棲を経て結婚し、初めての子どもを授かったときには、完璧な平穏と幸せを手に入れたと感じました。初めての赤ちゃんに夢中になり、仕事も家事も育児も手を抜くまいと奮闘しました。

 以前述べたように、生まれ育った家族は皆それぞれに満たされないものを抱えていたため家庭が収奪の場となり、最後に登場した私は最も多くのものを与えられながらもその分だけ後ろめたさを感じる結果となったのですが、今度は違うと感じられました。もう誰かが急に怒り出すこともなく、家の中はいつも穏やかで、彼は私を慈愛で包んでくれるのです。心が満たされ、育児の忙しさもあって、それまで10年以上も止めることができなかった過食嘔吐がいつの間にかおさまっていました。

暮らしとモノ班 for promotion
大人のリカちゃん遊び「リカ活」が人気!ついにポージング自由自在なモデルも
次のページ