しかし同時に、子どもを持ったことをきっかけに改めて両親や姉との関係を思い返し、満たされなかった子ども時代の思いを泣き止まない赤ん坊にぶつけてしまうこともありました。このままでは虐待してしまうかもと不安になって、カウンセリングに通い始めました。家族との間で辛かったことは辛かったと言っていいのですよ、あなたは苦しんでいいのですとカウンセラーに言われて、肩の荷が下りたような思いでした。ずっと、苦しいと思う自分が悪いのだと思っていたので、初めて赦されたような気持ちになったのです。
過食嘔吐については、夫は早くに気づいていたはずですが、見て見ぬ振りをしてくれました。私の食べ方がおかしくても問い詰めることなく、トイレで吐き戻してもなぜそんなことをするのかと尋ねたりせず、いつも何事もないかのように振る舞ってくれたおかげで、恥ずかしい思いをしないですみました。
でもそれは夫の強固な認知の歪みのせいだったことにのちに気がつきました。彼は目の前の面倒な現実を見ないことにして「自分は善人であり、全ては問題ない」というストーリーに練りこんでしまう名人だったのです。私はその揺らぐことのない物語に癒され、依存していました。
何もかも信じられなくなり、離婚届を用意
だからある日、彼が私を裏切っていたのだと知ったときには信じられない思いでした。育児でてんてこ舞いのところへ彼が帰って来るたびに「あっ、パパが帰ってきた、大変なときに現れてくれるパパはヒーローだね」と子どもに言い聞かせていたのに、実はそのとき、私の知らないところで彼は性欲処理の為に人をモノのように扱って、何食わぬ顔で帰宅していたのです。