けれど、緊急避難は命をつなぐことには役立っても、問題の解決にはなりません。魔法が解けたのは、夫が仕事を辞めて私一人が働くかたちになり、子どもたちも10代になって以前よりも手が離れた頃でした。
ラクダの背の藁という喩えを聞いたことがあります。あのとき、背中にいっぱい荷物を載せ、足を震わせてなんとか立っていたラクダの背に、最後のわらしべ一本を乗せて潰したのは夫でした。わらしべ一本なんてものじゃなくて、骨が砕けてはらわたがはみ出すくらいの固い冷たい荷を乗せて、私をぺしゃんこに潰した後で、手をのべて引き上げ「君のそばにいるよ」って囁いたのです。そのことに改めて気づき、この感情をどう扱えばいいのかいまだに答えが出せずにいます。
■私を殺した人が私を生かしたという矛盾
結婚披露宴のとき、ある男性作家が私の耳元で「あの男は、何食わぬ顔で君を裏切るだろうね。そういう人間だよ」と言いました。お目出度い席で嫌がらせをするなんてと聞く耳を持ちませんでしたが、さすが作家氏、慧眼でした。
現実と向き合って格闘するのが怖いときには、虚構に逃げ込むのが得策でしょう。そのようにしか生きてこられなかった夫の弱さを軽蔑する気持ちと、その彼の弱さによってもたらされた災いを生き延びるには彼の作った虚構のシェルターに逃げ込むしかなかったという事実に、私は板挟みになっています。私を殺した人が私を生かしたという矛盾。家族も、夫もそうでした。
不安障害が最も重かったときに、希死念慮にとりつかれました。自死を思いとどまれたのは、間違った形でも私を愛し、人生に期待せよと言った母の存在があったからです。母の過干渉に追い詰められ、母の言葉によって生かされたのです。夫もまた、それまでの誰よりも私を深く傷つけて再起不能にしましたが、どん底のときにもよくなると信じて寄り添い、どうか死なないで欲しいと言ってくれました。