戦時中の1944年には7系統(札の辻~飯田橋)の一系統に縮小され、戦後は3系統(品川駅前~飯田橋)に改編され、路線廃止まで走り続けた。
戦後の3系統に主力として運用されたのは、三田車庫配置の700型だった。木南(きなみ)車輌が1942年に製造した軽快な路面電車で、台車は菱枠構造のD13を履き、乗り心地が良かった。3系統には3000型や6000型も稀に充当されたが、都電のトンネルとベストフィットしたのは、この700型の他はない。1965年になると、杉並線から転入した2000型にその座を奪われ、路線廃止を目前にした1966年に全車が廃車された。
新宿に向う首都高速4号線に乗って、三宅坂ジャンクションから赤坂見附に下る。弁慶濠に沿った急カーブを右に曲がると、喰違見附の土塁に無機質な自動車トンネルが口を開けている。かつて都電が走った煉瓦造りトンネルの存在を瞑想しつつ、ハンドルを握るのは筆者だけであろうか…
■撮影:1963年2月10日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。