ここから2年間は派遣の仕事をしながら「69’N’ROLL ONE」を手伝う日々が続いた。ラーメンの“1から10まで”を嶋崎さん一人で手がけるこだわりの店だったこともあり、ラーメンを作らせてもらえることはなかった。だが、嶋崎さんのラーメンに対するアドバイスそのものが山上さんにとっては宝。家に帰ってはアドバイスをもとにラーメンを作るようになり、いつか独立しようという思いがふつふつと湧き始める。年齢を重ねたこともあり、何か新しいことを始めるラストチャンスだという思いもあった。


トイ・ボックス店主の山上貴典さん(筆者撮影)
トイ・ボックス店主の山上貴典さん(筆者撮影)

 10年10月には浅草の名店「浅草名代らーめん 与ろゐ屋」の門を叩く。ものすごい繁盛店で、お店をうまく切り盛りする方法はすべてここから学んだ。冷蔵庫の整理整頓なども行き届いたお手本のようなお店で、今の「トイ・ボックス」に繋がっている。

 このとき初めて、自分で作ったラーメンをお店で提供するようになる。1日20~30杯の限定だったが、休みの日に自宅でスープを炊いてはお店に運び、ラーメンを作る日々だったという。

「与ろゐ屋」を卒業した山上さんは、「ラーメン屋 ガイ・キッチン(仮)」という名で各地のラーメン店の定休日を利用した間借り営業を始める。13年9月末から11月という約2カ月の間で、月2回だけという限られた期間だったが、口コミが口コミを呼び、話題店として来客が増えたある日、転機が訪れる。

「台東区の三ノ輪にラーメン屋の居抜き物件があるからそこで店を出さないか」

 ラーメンを食べに来た50代の男性に声をかけられた。山上さんのラーメンに魅せられたこの男性が、初期投資ほぼなしで物件を貸してくれるというのだ。

 こうして同年12月15日、「ラーメン屋 トイ・ボックス」はオープンした。子どもの頃にラーメンと同じぐらい好きだった超合金ロボットが入っていたおもちゃ箱から「トイ・ボックス」と名付けた。お気に入りのおもちゃを取り出すワクワク感をお店でも味わってほしいという思いもあった。

 ラーメンだけでなく、器にもこだわった。憧れの嶋崎さんが使っていた「支那そばや」の有田焼の丼を自分も使いたい――。準備期間はわずか2週間だったが、支那そばやの店主・佐野しおりさんに頼み込み、大急ぎで作ってもらったという。

 1年目は一人でお店を回していたため、仕込みのタイムスケジュールも定まらず、うまく時間を使うことができなかった。加えて、江戸川区の平井からお店まで自転車で通っていたこともあり疲労はピークに達していた。雑誌などの取材も来て、忙しいという実感はあるが、集客に繋がらない。客が少なくても、仕込みにかかる手間は変わらない。苦しい日々が続いた。

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