■春に咲かない桜
冬の桜はどれもが春には花を咲かせる。風雪に斃(たお)れる木もあるが、どんなに過酷な環境に置かれていても、母体の闇から世間の明るみに出てくる赤子の生理のように、必ず時が満ちれば開花する。ただ、あの桜木だけは違っていた。その桜は陽気がよくなっても蕾を膨らませることはなかった。長野県信濃町、原の閑貞桜がそれだった。
東日本大震災が起こった2011年に樹木医が枯死を確認したという。花の時期も雪の日も撮影してきた桜だった。初めて撮影をした1998年4月には、ひこばえと見える小枝が花をつけていた。ささやかな花姿が“もののあわれ”を思わせた。自分はこの桜に出会うために長い桜旅をしてきたのではなかったか、と一つの帰結が脳裏をよぎった。求めてきた、あるいはたどり着きたいと願望した桜であった、と今も振り返ることができる。出会いから21年、今年の冬も桜木の本然に触れたいと思う。
この春も桜に向かう写真家は多いだろう。桜の魅力は花だけではない、と記してこの稿を終わるが、その本然に触れるために、冬の桜に対面してもらいたいと思う。夏の濃緑の姿、紅葉に染まった風情から桜の本然を感じてもらいたい。(文/宮嶋康彦)
※「アサヒカメラ」3月号から抜粋