シリアで取材中の安田さん。ジャーナリストとして世界各地を飛び回る日々だが「現地で広河氏と鉢合わせしないか、すごく怖かった」と話す(c)Dialogue for People

 彼からはいまだに真摯な反省の言葉もなく、発信内容を見る限り、自分は名誉を毀損された被害者だという姿勢を崩していません。非常に苦しいという感覚が半分、さもありなんという感覚が半分ですね。ここで反省する方であれば、長年にわたり加害を繰り返していないと思います。

 私としては、性被害を告発しても受け止められる空気を醸成するために、加害者が過ちと向き合ったという前例を作りたい。でも、彼個人に反省を促すことがもはや望めないのであれば、せめて被害者が泣き寝入りしないで済む社会構造を作る一助になりたいのです。

性被害者の実態理解を

──どうすれば性暴力を許さない社会になれるでしょうか。

 性暴力は組織内の権力関係の中で起きがちです。そして、元陸上自衛官の五ノ井里奈さんしかり、被害を受けた側が組織を去らざるを得なくなる事例が続いてきました。私自身も、「DAYS JAPAN」を離れたらフォトジャーナリストになる夢が砕かれるんじゃないかと恐怖しつつも、自分の心身が限界に来て、被害後にボランティアをやめました。

 組織内で性暴力が発覚したら、少なくとも加害者を権力のあるポジションから外すべきです。周囲が加害者に忖度する構造が残っている限り、被害者が安心できるはずがありません。

 もう一つ、サバイバーとして生きることの実態がもっと社会で知られるべきです。今年2月、ジャーナリストの伊藤詩織さんへ向けられた数々の言葉からも痛感しました。

 伊藤さんは、自身の性被害をテーマに制作した映画で、一部の映像などが無断使用されていたとの指摘を受けて、記者会見を開くと発表しました。しかし、体調不良によるドクターストップで会見が中止になり、「這ってでも来い」「根性がない」という声がネット上であふれました。

 映画そのものへの批判はともかく、性被害のトラウマを軽視する発言は間違っています。無理にベッドから引きはがして人前に立たせたら命の危険があっただろうと、サバイバーの一人としては思います。性被害者の救済には、どれほど息長いケアが必要なのか。これからも一人のジャーナリストとして、サバイバーとして、伝えていきたいです。

(構成/編集部・大谷百合絵)

AERA 2025年6月2日号より抜粋

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