2010年ドラフト1位で履正社高校からプロ入り、4年目の14年にリーグ最多の193安打を放ち、打率.324、29本塁打、89打点と覚醒した。
翌15年は打率.329、38本塁打、100打点、34盗塁でトリプルスリー達成と共に、本塁打王と盗塁王を獲得。ソフトバンクとの日本シリーズでは史上初の1試合3打席連続本塁打も放った。
「プロ入り当時は体も細くスイングも緩かったが、連日の早出練習で打撃スタイルを構築。下半身を使って鋭く回転して放つ打球は、強さと飛距離の両方を備えるようになった。『あれだけ振り込めば打てるのは当然』と思える練習量だった」(ヤクルト関係者)
16年も打率.304、38本塁打、102打点、30盗塁で2度目のトリプルスリー。17年はコンディション不良に苦しんだが、18年は打率.315、34本塁打、89打点、33盗塁で3度目のトリプルスリーをマーク。19年も打率.271ながら、35本塁打、98打点、33盗塁を記録した。
「21-22年のリーグ2連覇(21年は日本一)には貢献したが、以降はコンディションを崩すなどして別人のようになった。以前のようにひたむきにバットを振る姿も見かけなくなり、心配はしていたのだが……」(ヤクルトOB)
2018-19年にヘッドコーチを務めた宮本慎也氏は、「今、追い込まないと30歳を超えたら一気に落ち込む」と厳しい言葉をかけていた。チームが低迷していた時期で叱咤激動の1つと周囲も捉えていたが、予言が的中してしまった形だ。
「2020年オフの大型契約も結果的に逆効果となった。FA権行使での移籍可能性もあったので、好条件の提示も理解できる。しかしここまで成績が落ち込むとは予想できなかった。ヤクルト編成部は頭が痛いだろう」(在京球団編成担当者)
国内FA権を行使せず年俸5億円+出来高払いの7年契約(推定)で残留。報道された契約条件が正確ならば2年の契約が残っており、「不良債権」という声が出るのも理解できる。