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 終戦交渉、相互関税、報道規制。現在も話題に事欠かないドナルド・トランプ。
 不思議に思ったことはないだろうか。なぜ、事実無根の発言を繰り返す大統領が民衆の支持を集めるのか。その疑問に戸谷 洋志さんの著書『詭弁と論破 対立を生みだす仕組みを哲学する』(朝日新書)が応える。本書では客観性を軽視し、信じたいものを信じる状況を指す言葉、「ポスト・トゥルース」を詳しく紹介している。
 トランプを非難する人々もまた、本当に客観性を保てているのだろうか? 無自覚な油断の危険性を本書から抜粋・再編集して掲載する。

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 この世界にすべての人が合意できる客観的な真実などない。真実は、人がそれをどのように眺めるかによって、変わってしまう。そうであるとしたら、何らかの自分の主張に関して、他者からその妥当性を覆すようなエビデンスを突き付けられても、無視すればよい。

 近年、このように真実の概念そのものが相対化され、その客観性が軽視される状況は、「ポスト・トゥルース」と呼ばれる。そこでは、深刻な形で詭弁が蔓延している。

トランプ現象

 湾岸戦争を契機に1992年に生まれたポスト・トゥルースという言葉はすぐに普及したわけではない。この言葉が注目を集めるようになるのは、2016年においてである。この年、アメリカでは大統領選挙が行われ、民主党を代表するヒラリー・クリントンと、共和党を代表するドナルド・トランプが争った。結果的に、選挙はトランプの勝利に終わったが、彼はその過程で、事実と異なる主張を繰り返したことで、話題となった。

 いくつか例を挙げるなら、実際には 4.9%であった当時の失業率を、42%であると述べたり、バラク・オバマ元大統領がイスラム過激派ISISの「創始者」であると述べたりした。また、大統領に就任したトランプは、その一年目において「欺瞞に満ちているか、または誤解を招く発言」を「計2140回」行ったという。

 こうした発言の真偽は、少し調べれば、あるいは調べるまでもなく、噓であると判明するものばかりだった。しかし、トランプは自分の発言が噓ではないことを証明するための工作をほとんど何も行っていなかった。彼は、自分の発言が噓だと思われることに、まったく関心を寄せなかった。それは、たとえ噓であったとしても、その発言が世論に対して政治的な影響力を持つということを、知っていたからである。この意味で彼の態度は、テシックの言うポスト・トゥルースの、一つの先鋭化であったに違いない。

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