しばしば、ポスト・トゥルースの問題が論じられるとき、それはリベラル派の立場から、保守派の言説を批判するという仕方で展開される。特に、トランプがアメリカにおける保守派をある種戯画的に代表する存在であったことから、その印象は決定的になった。ポスト・トゥルースは、保守派に特有の問題であり、それはリベラル派と無縁であると考えている人も、少なくないかも知れない。

 しかし、日比が指摘するような情報過多の状況そのものは、リベラル/保守といった政治的な立場によって異なるものではない。保守派の人々がそうであるのと同様に、リベラル派の人々もまたそうした状況に置かれている。したがって、リベラル派の人々もまた、自分が信じたいと思っている情報を信じ、その情報の正誤を意に介さない、という事態もまた、十分に起こりえると考えておかなければならない。日比は次のように指摘している。
 

 トランプ氏の戦略〔…〕が示している、PC〔Political Correctness:政治的な正しさ=筆者〕派は建前優先の噓つきだという感覚に注目しよう。左派的な価値観をもって、ポスト真実の政治や時代を批判的に見る人たちは、噓は彼らの敵対者の側に━つまりトランプ氏やEU離脱派、安倍政権、およびそれらの支持者たちに━のみあるのだと考えるかもしれない。だが、事態は反対側からも見る必要がある。トランプ支持派からすれば、オバマ政権やその後継としてのヒラリー・クリントン氏を支持する人々は、誠実ではないのである。 


 日比はここで、保守派を擁護しているのではない。そうではなく、リベラル派が決して噓を支持することはない、と思い込むことによって、かえって、自分自身の状況を見誤る可能性があると指摘しているのである。

 なぜなら人々は、無自覚のうちに、信じたい情報を正しいと見なしているかも知れないからであり、言い換えるなら、自分が正しいと思っている情報が、実はそれが正しい情報であると信じたかっただけだった、ということを、そもそも自覚していないかも知れないからだ。
 

こちらの記事もおすすめ 「私は低学歴を愛している」トランプがハーバード大を攻撃する真の理由 このままでは米国の産業は空っぽに
[AERA最新号はこちら]