4歳頃の家族写真は自然な笑顔で写ったものも多かった。だが、16歳ごろから、「笑顔がぎこちない」ことに悩みはじめた/撮影・上田泰世(写真映像部)
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 小学生のころ、友達との何げない女子トークをきっかけに口元のコンプレックスを感じるようになった有村藍里さん。自分の心を変えるために芸能界に入ったあと、「明るく元気な自分」を頑張りすぎて心が折れたことも。コンプレックスとの向き合い方を聞きました。(全2回の1回目/後編へ続く)

【写真】アンニュイな表情が魅力的…有村藍里さん(全8枚)

――小さいころはどんな子どもでしたか。

 すごくシャイでした。久しぶりに祖父母のおうちに遊びに行っても、人見知りを発動しちゃって。おばあちゃんとは母を通して話していました。でも、帰る頃には慣れてきて、「まだおばあちゃんといたい」と大号泣。でも次に会うときはまたリセットされていたそうなんですけど……。

――ほほ笑ましいですね。子どものころから、笑顔を見せることへのコンプレックスがあったとお聞きしました。最初にそう思うようになったきっかけはありますか。

 小学5年生のときに友達と「お互いの悪いところを1個言おう!」という話になったんです。確かそのとき、相手の子が「藍里ちゃんは口元」って言ったんですけど、そこから気になりはじめたような気がします。

――悪いところを言い合う、ですか。

 意地悪とかじゃないんですよ。仲の良い友達同士の女子トークじゃないですけど……。その友達とはよく二人で放課後にトークテーマを決めて話していたんです。「好きなところを一つ」「面白いところを一つ」みたいな。お手紙交換とかもしていて、その流れで出たのが歯並びのことでした。

ファッションやメイクも無難な色を選びがちだったという/撮影・上田泰世(写真映像部)

――友達同士の何げないやり取りから、意識するようになったんですね。そこから少しずつ悩み始めたのでしょうか。

 もともと内気な性格で、人見知りもすごかったんですね。それもあって中学校に入ると学校にあまり行かず、引きこもるようになりました。不登校で鏡も見ないので、当時は自分の容姿に対して何か考えることはありませんでした。

 でも、頭のどこかにこのままではいけないという思いがあって。自分を変える方法をネットで色々検索していたときに、芸能事務所の募集ページを見つけました。「撮影会モデル」というお仕事でした。一般のカメラマンさんの被写体になって写真を撮っていただくんですけど、それをすれば何か変わるかもしれないと思って、16歳になってすぐ応募しました。

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