有村藍里さん/撮影・上田泰世(写真映像部)
有村藍里さん/撮影・上田泰世(写真映像部)

八重歯で笑顔が作りづらかった

――不安は一切なかったのでしょうか。

「今の自分を変えたい」「ここで何か行動しないと一生変われないままだ」という思いが強かったので、迷いはありませんでした。

 でも、いざ面談のために地元の兵庫から大阪まで行くとなったときは、「ちょっと怖いな」「やめようかな」って何回も思いました。一人で電車に乗ったこともなかったので……。でも、ここでやめたらまたダメな自分に戻ってしまうと思って、勇気を振り絞って行った感じです。

――高校1年生にとって、兵庫から大阪は小旅行ですよね。事務所に入ってからはどうでしたか。

 撮影会のお仕事では、先輩モデルさんを参考にさせてもらったり、自分なりにたくさん勉強もしました。ただ、「表情をつくる」ことがうまくできなくて。カメラマンの方から「笑って」と言われても、口角を上げることしかできませんでした。後から思うと、歯並びがけっこうガタガタしていたし、八重歯で笑顔が物理的に作りづらかったんです。

 それまで鏡を見ることがほとんどなかったので、自分の見た目を意識することはありませんでした。でも、ファンの方からは「ぎこちない」と言われてしまったり、いただいた写真を見ているうちに、自分の思っていた顔と全然違うようにも見えてきて。自分なりに頑張って笑おうとするほど、笑顔もどんどん不自然になっていきました。「私の口元、気持ち悪くないかな」ってすごい気にしていたし、笑うときに手を口のところに持っていくようになったのもこの頃です。

16歳でグラビアを始めたときは、「クールな黒髪ロングのお姉さん」というイメージが強かった。おしゃべりが得意ではなかったため、物静かな雰囲気を好きでいてくれるファンが多かったという/撮影・上田泰世(写真映像部)
16歳でグラビアを始めたときは、「クールな黒髪ロングのお姉さん」というイメージが強かった。おしゃべりが得意ではなかったため、物静かな雰囲気を好きでいてくれるファンが多かったという/撮影・上田泰世(写真映像部)

――そうした悩みを誰かに相談したりはしましたか。

 なかったですね。「自分がそう思っているだけかもしれない」と思っていたというか。なんて言えばいいのかわからないんですけど、自分の中だけでモヤモヤ考えていました。当時書いていたアメブロでも、自分の弱さは出さないようにしていました。

――その悩みが自分に制限をかけてしまうことはありましたか。

 口紅を塗ってみたいと思っても、口元が余計に強調されるかもしれないから手に取るのはクリアなグロスだけ。そんなふうにメイクやファッションにあまり前向きになれませんでした。芸能事務所に入ったり、撮影会に出たりしていると表に出たいタイプだと思われがちですが、本当は違うんです。存在感を消したかったし、「誰も私のことを見ないでほしい」と思っていました。

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