1カ月以上間があくと仲の良い友達にも「人見知り」を発動してしまう。「久しぶりに会うと最初は普段の感じで喋れないというか、ちょっと作ってる自分がいるなって感じです」/撮影・上田泰世(写真映像部)

できなかった「はつらつ」

――不思議ですね。人前に出るお仕事を選んだけれど、実際は出たくないという。

 そんなことを言ったら怒られそうなんですけど、芸能界に入ったのは「人気者になりたい」というより、「自分の心を変えたい」「強くなりたい」という思いがあったからなんです。そんな動機は他の方に失礼ですよね。

――変わりたいというのも素敵な動機だと思いますが、ダメなんでしょうか。

 学校じゃなくてお仕事なので、「変わってから来てください」って言われてしまう気がします。もちろん撮影会に来ていただく方に失礼のないように勉強したり、表現力を身につけたりはしました。でも本音は目立ちたくなかった。

――それなのに人前に出るのはつらくなかったですか。

 撮影会モデルのときは「ちょっとクールな黒髪ロングのお姉さん」というイメージがあったので、口数が少なくても大丈夫だったんです。

 ただ、20代でグラビアアイドルとして東京で勝負することになってからは、それでは通用しないんじゃないかという話になって……。周りの方からアドバイスされたのが、「元気はつらつ明るくハッピーな感じ」ということでした。

――百八十度違う方向性です。

「はつらつ」が本当にできなくて。苦しすぎて、心が一度折れて少しお仕事をお休みしました。22、23歳くらいのときだったと思います。

何事も考えすぎてしまう自分が嫌だったという有村さん。「でも、それがあるから人の気持ちに少しでも寄り添える今の自分になれたんじゃないかなと思うようになりました」/撮影・上田泰世(写真映像部)

――反動が大きかったんですね。

「明るく元気な自分」を頑張ることで、まだ知らない自分を見つけられるかもと前向きにチャレンジはしていました。ただどうしてもコンプレックスが邪魔をして、思うように「はつらつ」できない。「なんでできないんだろう」という葛藤もありました。

――「with」の連載では、「些細なこともすべてが今の基盤になっている」ということをおっしゃっていました。そこにはコンプレックスも含まれますか。

 過去の自分を否定したくはないんです。「変わりたい」という気持ちはあったけど、そのときの自分はそのときの自分なりに真剣に考えて生きてきましたから。

 コンプレックスは今もたくさんあります。こういうふうに聞かれたことにすぐに答えられない自分が嫌だなと思いますし、家に帰ってから「あのとき言った言葉は合ってたかな」とずっと考えたりしてるんです。でもそれがあるから、人の気持ちに少しでも寄り添える今の自分になれたんじゃないかなって思うんです。

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