大澤 さて、今年は戦後80年です。日本の場合、昭和で数えるとちょうど昭和100年、明治維新からだとおよそ160年にあたります。日本も戦前にある種のファシズムを経験しています。それが何であったのかをちゃんと理解することは、現在の世界と日本を見ていくうえで重要だと思います。戦後生まれの僕たちが戦前をどう記憶するか、どう歴史化するかは、単に知識の問題ではなく、さまざまな形で政治や実践にも響いてきていて、同時に、その困難も僕は感じます。
ここで僕の念頭にあるのは、戦後50年に『敗戦後論』(現在、ちくま学芸文庫)を書いた加藤典洋さんの問題意識ともつながることです。敗戦から遠くなるほど、そのとき受けた傷が癒えてくるものだと、普通は思われています。けれども、敗戦のトラウマは、じつは世代を超えて継承され、潜伏していて、人口の大半が戦後世代になってしまっているのに、むしろ「今」、そのトラウマに由来する症状が出てくる。『敗戦後論』の刊行からさらに30年も経っていますが、ある意味でますますそれが深刻になっていると感じるのです。
そこで『未完のファシズム』(新潮選書)という日本の戦前のファシズムに関する非常に良い本を書いた片山さんと話したいなと……。
片山 『未完のファシズム』は2012年に新潮社の月刊誌「波」の連載をまとめて出した本です。日本は第一次世界大戦後、国家の危機に対応するため、強権的に独裁的に国力を結集する仕掛けを作ろうと、いわゆる天皇制ファシズムを選択します。しかし、明治憲法のままの天皇だと、いわば弱いファシズムにしかならないのですね。独裁的強権を成り立たせない構造を変えられない。結局、成り行き任せになって、ついに敗戦に至ってしまう。そんな総力戦体制の挫折について、戦前の陸軍のことを書きました。本当は海軍のことや当時の政治学、社会学、哲学のことも盛り込みたかったのですが、なかなか……。