
男性は「こんな話をしても仕方がないとは思いますが……」とためらいながらも、「これは私がいた会社だけでなく、日本の多くのメーカーに共通すると思います」と自分の思いをたぐり寄せるようにポツリポツリ、言葉を継いだ。
「どうせ量産化されないと思いながら企画書を書いてプレゼンすることの繰り返し。周りと合わせて体裁を繕う、雇用維持のための『仕事のための仕事』をしているというか……」
かつて世界を席巻した日本のメーカー各社も海外勢に販路を奪われ、厳しい経営環境にさらされている。男性の職場でもコストダウンや合理化が優先され、ものづくりに対する熱意や自由闊達(かったつ)な職場の雰囲気がどんどん失われていったという。
「モノが売れない時代に、定年まで会社にしがみついても本当に自分の好きなものづくりはできそうにない。自分がやるべきこともなくなってきている、と感じるようになったんです」
短い沈黙のあと、こうつぶやいた。
「ビジネスとしての実態がない虚業。それが今、あまりに多くないですか」
過去にフォーカスするより、何をやりたいかが大事
メーカーを離職した時点で転職先は白紙だった。退職後、ふと浮かんだのが輸送にかかわる仕事。運転するのが好きで休日はよくドライブした。一人で長時間運転するのも苦にならない。長距離のトラック運転手も考えたが、サービスを提供する相手の反応に直接触れられる仕事がいいと思った。失業給付をもらいながら二種免許を取得し、タクシー会社に就職。研修期間を経て昨年11月からタクシー運転手として営業を始めた。男性は少し照れくさそうにこう話した。
「じつは今の仕事、結構楽しいんです。自分でルートを選べるのもいい。今日はここへ行ってみようとか、毎日違うから面白い」
港区、渋谷区、千代田区など都心を流す。丸一日の勤務明けが休日となる隔日勤務のシフトにも慣れてきた。
「半分ぐらいはインバウンドの観光客。皆さんジェントルです。酔っ払いがいそうなエリアにはなるべく近づかないようにしています」
例外は「銀座のクラブまで店のお姉さんを送っていく時」だという。
「夕方にアプリで予約が入ると緊張します。乗車した直後に『急いで』とピシッと告げられ、絶対にミスは許されない張り詰めた雰囲気になります」
男性の少しおどけた口調からは、そうした緊張感も楽しんでいるように感じられる。