
志望校不合格──。受験での「敗北」経験を長く引きずってしまう人は、少なくない。どのように克服、逆転したのか。経験者に聞いた。AERA 2025年3月17日号より。
【アンケート結果】「第1志望」は叶わなかったけれど「頑張る力」に変換!




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「私、喜んでいいのかどうかわからないわ」
母親の言葉が、つらかった。東京都内の高校教員の男性(56)が大学受験したときのこと。茨城県の私立高校を卒業して1浪した末、早稲田大学の第二文学部(当時)に合格した。第1志望の第一文学部やMARCHなど8学部を受けて7連敗、最後につかみとった合格だった。
「夜間学部で私の志望順位としては下位でしたが、2浪は無理だったので嬉しかったんです。でも母に報告して返ってきた言葉はこたえました。母を喜ばせることはできなかったという思いはその後、私に重荷となってのしかかることになりました」
教育学部落ち商学部へ
兵庫県で大学職員として働く56歳の男性も、大学受験に苦い思い出がある。兵庫県の私立高校を卒業後、1浪して迎えた共通一次試験(当時)で失敗。第1志望だった神戸大学教育学部(当時)を諦め、三重大学教育学部を受験するも届かず、私立大学の商学部に入学した。
「2浪したかったけど、経済事情が許さなかった。教師になりたかったのに合格したのが経営学科でまったく興味のない分野。『俺の人生どうしたらいいんや……』。そんな思いをしばらく引きずることになりました」
桜咲くこの季節。華やかな合格発表や入学式のニュースの陰で、18歳19歳で「敗北」したその経験は、後悔、劣等感などさまざまなネガティブな傷痕を残し、思いのほか長く引きずってしまうことも少なくない。
神奈川県の50代の女性は、広島県の高校3年生で迎えた大学受験での自分の判断に、大きなわだかまりが残ったという。
「心理学に興味があり、広島大学教育学部心理学科が第1志望でした。でもそこの偏差値が高かったことと、同じ大学の文学部の二次試験にその年は得意科目の数学が入ったことで、私は『入りやすい』を優先してそっちを受験し、合格したんです」
心にあった本当の志望先ではなかった。そのことが入学してからの「熱の入らなさ」へとつながり、苦しんだという。
「挑戦から逃げた。努力しなかった自分がずっと嫌いでした」