
俊足・巧打のイメージを覆したデストラーデ
スイッチヒッターの選手には巧打で俊足のイメージがある。80年代から2000年代に活躍したスイッチヒッター選手には盗塁王のタイトルを獲得した選手が多い。西村徳文(元ロッテ)、平野謙(元西武など)、屋敷要(元大洋など)、西岡剛(元ロッテなど)らだ。西武などで活躍した松井稼頭央はスイッチヒッターで最多の日米通算2705安打を記録。盗塁王を3度、最多安打を2度マークし、2002年には打率.332、36本塁打、33盗塁でトリプルスリーも達成した。元DeNAの金城龍彦は首位打者を獲得している。
イメージを覆したのが元西武のオレステス・デストラーデだ。左右の打席から本塁打を量産。90年から3年連続本塁打王に輝き、2度は打点王と合わせた2冠だった。他にも助っ人外国人にはパワーがあるスイッチヒッターがいた。ドゥエイン・ホージー(元ヤクルト)、フェルナンド・セギノール(元日本ハムなど)は、いずれも本塁打王を獲得している。
だが、2010年代以降になると1軍で活躍するケースが少なくなる。2度の盗塁王を獲得した金子侑司(西武)は昨年限りで現役を引退した。田中和基はプロ2年目の18年に105試合出場で打率.265、18本塁打、21盗塁をマークして新人王を受賞したが、その後は伸び悩んで外野のレギュラーをつかめていない。
プロ入団後にスイッチヒッターに挑戦したが、途中で断念した在京球団の選手が振り返る。
「僕は元々右利きの左打者でした。左投手が登板すると代打を出されることが多かったので、打席に立つ機会を増やすために右打者に挑戦したのですが難しかったですね。『右と左は別人格』といいますが、その通りです。打席から見える風景が全然違うし、スイングの感覚が全く違う。コーチに付き合ってもらって左右で振り込みましたが、右打席に入ったときに振り方が分からなくなることが何度もありました。スイッチヒッターで成功する選手は、練習量だけでなく、身体能力の高さや打撃センスも必要だと思います。ただ、挑戦する価値は十分にあります。僕はその後、左打者1本にしたら、ボールにコンタクトする感覚をつかめるようになった。スイッチに挑戦したから、左でアプローチする感覚がクリアになったと思います」