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プロ野球界では、シーズンで活躍し、大幅昇給をかち取ったのに、年俸が上がった途端にパフォーマンスが下がってしまう選手も少なくない。年俸大幅アップ後に成績が急下降した男たちを振り返ってみよう(金額はいずれも推定)
【写真】「2億円」が「400万円」に急降下 球史に残る“大減俸”を味わった選手がこちら
555パーセントの大幅アップで契約更改したのに、わずか3年後に戦力外通告を受けたのが、中日・若松駿太だ。
2012年のドラフト7位で中日入りした若松は、高卒3年目の15年、6月2日の西武戦でプロ初勝利を挙げると、チェンジアップを武器に先発ローテーションを守り、10勝4敗、防御率2.12の好成績を残した。
オフの契約更改では、年俸550万円から3600万円に大幅アップ。本人も「本当にいいのかなと、疑いから入りました。『えっ』ってなりました」と驚きながらも、「まずは(好成績を)続けること。来年、必ず最低10勝したい」と新年俸に見合う活躍を誓った。
翌16年もエース・大野雄大と並ぶチームトップタイの7勝(8敗)を挙げたものの、8月上旬から9月中旬まで2軍で調整するなど、前年ほどの活躍はできず、年俸も3000万円にダウンした。
さらに17年は登板7試合の1勝4敗と出番が激減。年俸が2500万円に下がった18年も、右肩故障の影響で1軍登板なしに終わり、シーズン後、非情の戦力外通告が待っていた。
まだ24歳。「もう一度10勝した年の、あの気持ちってのを味わいたい」とBC栃木、BC福島でプレーしながらNPB復帰を目指したが、願いは叶わず、昨年限りで現役引退。一瞬の輝きで終わった中日時代を「もう少し謙虚でいればよかった。活躍したからOKだと思ってしまっている自分がいました。もっと周りの声を聞いていれば、もう2、3年は長くNPBでやれたのかもしれない」(2024年12月31日配信「Full-Count」)と振り返っている。
4年総額20億円プラス出来高の大型複数年契約を交わした直後から成績不振に陥ったのが、オリックスエース時代の金子千尋だ。