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今回、フジテレビで起こっている事態をみながら、かつて英エコノミストのエグゼクティブ・エディターであるダニエル・フランクリンが私に語ったこんな言葉を思い出していた。
「歴史を知るということは、未来を予測する上で重要なツールキットです。歴史がそのまま繰り返すことはありませんが、歴史をみることによって、新しいものが起きた時にどのような反応が起きるか、ある程度予測できるということです」
ただし、デジャブのように思い出したのは過去のフジテレビではない。90年代から2000年代にかけて日本の金融業がたどった道筋だった。
規制下の金融業との相似
昨年暮れに、中居正広による女性への深刻な人権侵害と、そこにフジテレビ社員がかかわっているとの週刊文春報道を目にしたとき、これは業界の再編にまでつながる事件だと直感した。
かつて日本の金融業は、政府系3行から13行あった都銀そして信用組合にいたるまで、大蔵省が、出店の規制や、貸し出し利率の規制などによって、ひとつたりとも潰さないという統制経済の下におかれていた。
そうした統制経済の中で、バブル経済が拡大し、銀行はもっとも生涯賃金が高い安定した職場というのが、学生の間の共通認識だった。
ところが、「刺身のように米国をのみこむ」とまで言われた日本の金融業は、バブルの崩壊とともに、持続可能ではなくなった。
中居スキャンダルが単なる性的スキャンダルで終わらないと思った理由は、銀行から大蔵官僚への性的接待が明るみにでた1998年の「ノーパンシャブシャブ」事件を思い出したからだ。
山一證券や北海道拓殖銀行の破綻がおきた後に明るみに出たこの事件で、官民が一体となって寡占的な利益を享受してきたことへの、国民的な怒りに火がついた。国民世論の追い風もあって、検察は、特別背任や粉飾決算などで多くの金融機関の経営幹部を逮捕・起訴することになる。
日本の金融業を守っていた規制は、90年代後半から2000年代にかけて行われた規制の撤廃「金融ビッグバン」によってなくなり、かつて13行あった都銀も再編、日本の金融業はほぼ三つにまで集約された。