しかし、政界を広く取材するという視野が、たとえば、小沢一郎と鳩山由紀夫の対談(2002年4月18日)から自由党と民主党の合併が生まれたり、政治家本人にコラムを書かせたりするという夕刊フジの後期の名物、政治家の連載コラムへと結実していった。

 なかでも、2005年1月から始まった安倍晋三のコラムは断続的に17年続き、末期の夕刊フジを支えることになる。

 この政治家コラムは、保守政治家にかたよっていたわけではなく、長妻昭、蓮舫、山口那津男といった政治家も連載した。

 実は共産党の志位和夫にも、コラム連載を正式に依頼したこともあったと、矢野は言う。「やってくれるかな、とも思ったのですが、最終的には、党のほうから断りの返事がきて残念でした」(矢野)

スマホの登場で風景が一変する

 その矢野が、風景がかわったと感じたのが、2010年の震災前のことだという。

 2008年にiPhoneが発売、2010年には、移動通信の形式が第四世代(4G)になって、動画や音楽が動いている電車の中へも瞬時に送れるようになると、車内の風景があっという間にかわっていった。かつて夕刊フジを買って帰宅途中に読んでいたサラリーマンは、スマホを眺めるようになったのだ。

 この年、夕刊フジの編集局は半分に人員が削られることになる。

 そして駅の売店も、回転の早かった夕刊紙や雑誌の売上が、スマホによっておちこむことで、次々に閉店になっていった。

 たとえばかつて新橋駅烏森口には、大きなKIOSKがあり、一日1000部といった単位で夕刊フジが売れていたが、そのキオスクも閉店となった。

 ZAKZAKという夕刊フジの公式ウエブサイトがスタートしたのは、1996年8月と早いが、紙の記事がその日のうちに無料でアップされ、コラムも翌日にはアップされることは、紙の編集局にとっては、障害でしかなかった。別会社がやっているため、編集部からは鍵をかけてといった口出しはできなかったのだという。

 ニューヨーク・デイリー・ニュースの現在の部数は、4万5000部。夕刊フジも、最後は2万から3万といった部数だったようだ。

 1月31日に、わずかに残った駅売りの売店に差し込まれた紙面を最後に夕刊フジはその歴史を終えた。夕刊フジが守ろうとした男の終身雇用、退職金を前提としたサラリーマン文化とともに──。

 かつてそこには駅売りの即売にかける男たちの熱いジャーナリズムの世界があった。

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