西田ひかるさん(撮影/横関一浩)

「これはしない」と決めていた仕事とは

――当時はアイドル・バラドル全盛期でしたが、「前に出なきゃ」「司会者の人にイジってもらわなきゃ」などは考えていましたか。

 実は、私は「こうしなきゃいけない」というのはあまり強く言われていなくて……。「積極的に、元気にやってね」って言われてたぐらいでした。今思い返すと、芸能界の中でも珍しいぐらい学校に行かせてもらって、マイペースで自分の世界を保って、すくすく伸び伸びとやらせてもらっていたな、と感じますね。だからこそ、アイドル時代も疲弊せずに、心身ともに元気に続けられたのだと思います。

 他の人からしたら、「ひかるちゃんはいいよね」って言われていたと思います。それは今の事務所にも本当に守ってもらったからだと思います。芸能界ってやはり圧倒的な男性社会で、当時は芸能事務所の社長が女性というのも珍しかったはずです。社長から「これはしない」「こういうことはダメ」とはっきり言ってもらえたのは、自分のポリシーや考え方をつくっていくうえですごく大きかったかなと思います。

――当時「これはしない」と決めていたというのは、どういうものだったのでしょうか。

 必然性があるならいいですが、たとえば「水着になるための水着」みたいなことはもういいよね、と社長から言われたのは覚えています。ただ、やっぱり「仕事をもらっているんだから、やったほうがいいかな」と思ったりしてしまう部分はありました。当事者になってしまうと、そのあたりの線引きはすごく難しいんですよ。

 特に若い時って自分ではブレーキがかけられないので、マネジメントの方とチームを組むことで「やっぱり違うよね」「これはここまで」と線引きしてもらえたのは、すごく大事なことだったなと今振り返っても思います。

(藤井みさ)

※【後編】<「西田ひかる」が人気絶頂の20代で結婚を決めた理由 「この人とやっていけなければ一生ダメかもしれない…」>に続く

▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼