西田ひかるさん(撮影/横関一浩)
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 1988年にデビューした西田ひかるさんは、チャーミングな笑顔と健康的なスタイルで人気を博し、90年代のトップアイドルとして活躍しました。当時は珍しかった「帰国子女」「高学歴」アイドルの先駆者でもあります。また、俳優としても数々のドラマや映画、舞台に出演し、その高い演技力と歌唱力でファンを魅了してきました。今年52歳を迎えた西田さんは、現在もCMなどで活躍する一方で、高校生と中学生の2人の息子を育てる母親でもあります。インタビュー【前編】では、今だからこそ語れる「90年代のアイドル事情」や「高学歴アイドルとしての葛藤」などをうかがいました。

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――西田さんは生後10カ月でお父様の仕事の都合でアメリカに渡り、13歳まで現地で過ごされていました。当時、日本の芸能界についてどのように見ていましたか。

 父の転勤でロサンゼルスに行き、月曜から金曜までは地元のアメリカの学校、土曜日だけは日本の補習校に通っていました。日本の祖母の家で過ごす夏休みと冬休みに「ザ・ベストテン」や「8時だョ!全員集合」などをテレビで見ることはありましたが、「芸能界に入りたい」とは考えてもいませんでした。

 アメリカで暮らしていた時はまだ子どもだったので、自分が大人になって日本で暮らすイメージすら湧いていませんでした。英語がメインの生活で、時代劇などは「日本語が難しいな」と思っていたぐらいだったので、日本のテレビは「遠い国での出来事」という感じでした。なので、まさか自分がいずれ日本でデビューするなんて、夢にも思っていませんでした。

――13歳で帰国し、15歳で歌手としてデビューされましたが、きっかけはなんだったのでしょうか。

 私がアメリカにいた頃は、マドンナやシンディ・ローパーなどがミュージックビデオ(MV)を出し始め、私もMVに出て踊りたいなと憧れを抱いて、ダンススクールに通っていました。

 するとある日、通っていたダンススクールでたまたまマドンナがコンサートのリハーサル中で、となりのスタジオにいました。その時、一瞬ですけどプロのダンス、ショーの様子をのぞき見て、本当に感動したのを覚えています。ただ同時に、「あ、自分にはプロになるのはとうてい無理だ」と思ったのも事実で、それからは「趣味でダンスをできたらいいな」ぐらいの気持ちで続けていました。

 その後、日本に帰国してダンススタジオを探している時に、今の事務所にスカウトされたんです。「芸能の仕事をやってみない?」と言われて、「私にできるのかな」という不安もありました。本当に右も左もわからない状態でしたが、まだ若かったですし、思い切ってチャレンジしてみようと思ったんです。

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デビューは「学業優先」がルール