
ロッテ・佐々木朗希がポスティングによるメジャー移籍を目指している。日本人選手がメジャーに挑戦するのは、毎年オフの恒例行事と化した感もあるが、過去には2001年オフの横浜・谷繁元信、04年オフのヤクルト・稲葉篤紀のようにメジャー移籍の夢を叶えられなかった選手もいる。そして、その中には、意外と知られていない“メジャー挑戦未遂組”も存在する。
【写真】意外と知られていない!捕手で「メジャー挑戦」に動いたのはこの人
ポスティングでのメジャー移籍を望み、2度にわたる入札手続きを行いながら、夢を叶えらなかったのが、西武・三井浩二だ。
2006年の日米野球にNPB選抜チームの一員としてリリーフで3試合に登板した三井は、MLB選抜チームをいずれも無安打無失点に抑えたことがきっかけで、メジャーへの夢を膨らませていく。
08年、登板23試合の1勝1敗3ホールド、防御率7.50と不本意な成績に終わった三井は「もう一度自分を奮い立たせる環境を」とメジャー挑戦を希望。「35歳という年齢からも、そんなに長く野球をやれるわけがない。米国で野球人生を終えるくらいのつもりで行く」という決意の固さに、球団側も入札によるメジャー移籍を了承した。
「行ければどこでも、寒いところでも暑いところでも、やってやろうという気持ちです」と夢実現に向けて12月に入札を開始した三井だったが、締め切りまでに応じる球団はなかった。
だが、あきらめきれない三井は年明け後に「米国でやりたい気持ちが強く、もう一度申請させていただく」と球団側に申し入れ、09年1月に再入札を開始した。にもかかわらず、米国の景気悪化の影響もあり、2度目も応札なしに終わる。入札されなかった選手の同一年度内の再申請、2回続けて応札がなかったのは、いずれも史上初だった。
自由契約選手になって米国での移籍先を探す手もあったが、家族のことを考えて断念。2度にわたるポスティングを認めてくれた球団に感謝の意を表し、西武残留を決めた。
「体を鍛え直して、(米関係者に)見てもらえれば、回り道ではないと思っている」と1年後のメジャー再挑戦を目指した三井だったが、同年は19試合登板の0勝1敗5ホールド、防御率6.23に終わり、オフに戦力外通告。春季キャンプでの他球団のテストも不合格になり、ついに現役を引退した。