海を渡って、働き、子育てをしてきた小島慶子さんと中野円佳さん。それぞれいま何を思うのか(撮影/写真映像部・松永卓也)
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 日本を離れ海外で仕事と子育てをすると、一体どんな環境の違いがあるのか。子どもの進路や就職先はどうなるのか、海外移住を決断する前に考えるべきこととは。経験者の話を聞いた。AERA 2024年10月28日号より。

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 日本を離れて働くこと、子育てをすること。それぞれ良いこともあるけれど、そう簡単なことではない。エッセイストでメディアパーソナリティーの小島慶子さん(52)とジャーナリストで東京大学多様性包摂共創センター准教授の中野円佳さん(39)はそれぞれ海を渡って、働き、子育てをしてきた経験がある。拠点を日本に戻したいま何を思うのか。2人が語り合った。
 

中野円佳(以下、中野):私は2015年から22年までシンガポールにいましたが、駐妻として行ったのでビザを取らないと就労はしがたい環境でした。一方でシンガポールには大きな日本人コミュニティーがあって、自分で起業してビザを取得している人もいて、現地で暮らす日本人女性の中にも多様性がありました。

小島慶子(以下、小島):私は子どもの頃にシンガポールに住んでいたんです。父は大手総合商社勤務で、母は専業主婦でした。当時は専業主婦ばかりで、駐妻社会はお付き合いが大変で。当時と比べると、随分と変わりましたね。中野さんは、日本に残るという選択肢はなかったんですか。

中野:それはありませんでした。私も海外に行きたいと思っていましたし、子どもたちが別々の保育園だったということも大変で、生活を変えたかったというのもあります。そういう中で就労方法を探して、書く仕事を再開させました。

小島:それでジャーナリズムの賞をとられて。海外にいながらにして日本の問題の取材を進めて追及することができるんだ、と驚いた人も多かったはず。シンガポール社会を取材して本も出されましたよね。私は14年からオーストラリアとの2拠点生活を始め、向こうに滞在中もずっと日本の仕事をしていました。私のように日本語で仕事をしている人間が海外に住むなんて無理だと思ってしまいますが、やってみたらできたって感じです。

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