ただ、14年の時点では、教育移住も2拠点生活もやっている人があまりおらず、説明するのが大変で。当初3週間で日豪を往復していたので「その時期は日本にいないので」と仕事を断るのがすごく怖かった。当時はレギュラーを何本持つかが仕事の生命線みたいな考えがありましたから。
外国人として生きる
中野:大きく変わったのはコロナ禍以降ですね。
シンガポールには教育目的で移住している親子も一部いましたが、教育費も生活費も高いのでお隣のマレーシアに行く人も多いです。インターナショナルの環境で育てたいというのは、私にもあったのでわかりますが、まず高校まで通い続けさせられるか。それから大学を出ても、外国人がその土地で生きていくというのはそれなりに大変ですよね。
小島:そうですね。ちなみに1997年の通貨危機後の韓国では急速に格差が拡大し、将来子どもを国内の財閥企業に就職させるために、母子で海外留学をする人が増えました。社会問題にもなったギロギアッパ(雁の父さん:妻子を海外に留学させて一人韓国で働く孤独な父親たち)です。そうやって海外で学んだ人たちが、今は韓国の一流企業などにいます。もしかしたら、K-POPなどのエンタメがグローバルに成功している要因の一つには、海外経験のある人材の活躍もあるかもしれません。韓国の親たちは、当初は我が子の国内での就職を有利にするために教育移住したわけです。これから日本で教育移住を考える人は、何のためにするのか、ですね。
(構成/編集部・三島恵美子)
※AERA 2024年10月28日号より抜粋