現役は通算で14年間プレーしたものの、100試合以上に出場したのは8シーズン。それでも、1747安打、229本塁打、936打点をマークし、通算打率は.313と非常に高かった。オールスターにも6度選出され、今でも「怪我さえなければ……」と悔やまれる選手の一人だ。

 そのほか野手では、通算382本塁打の大砲ライアン・ハワード一塁手(フィリーズほか)、同じ時代に大砲として活躍した通算319本塁打のプリンス・フィルダー一塁手(タイガースほか)、攻守にメジャー屈指の能力があった遊撃手トロイ・トゥロウィツキー(ロッキーズほか)、三塁手デビッド・ライト(メッツ)などがキャリア序盤は“殿堂入りのペース”の成績を収めていたものの、怪我が多くポテンシャルを最大限に発揮できないままにキャリアを終えている。

 投手で最もこのテーマに当てはまるのはドワイト・グッデン(メッツほか)だろう。

 1982年のドラフト1位(全体5位)でメッツに入団したグッデンは、1983年にチーム傘下のシングルAで驚異的な成績をマーク。当時メッツを指揮していたデービー・ジョンソン監督の目に留まり、19歳で迎えた翌1984年に“飛び級”でメジャーデビューを果たすと、いきなりリーグを席巻する投球を披露した。

 100マイル(約160キロ)の直球と大きく曲がるカーブを武器に1年目から17勝(ナ・リーグ3位)、防御率2.60(同2位)、276奪三振(同1位)をマーク。そのほかでも1イニングに許した走者の指標のWHIP(1.07)、被打率(.202)、奪三振率(11.39)など多くの項目でリーグトップを記録し、サイ・ヤング賞の投票では惜しくも2位となったが、新人王に選出された。

 すると翌年はさらに飛躍。24勝、防御率1.53、268奪三振をマークし、投手三冠とサイ・ヤング賞(満票)を史上最年少で獲得した。このシーズンの活躍は今も“伝説のシーズン”として語り継がれており、メジャーリーグ公式サイト『MLB.com』が選出するメッツの歴代投手の中で、通算311勝の殿堂入り右腕トム・シーバー(1971年シーズン)を抑えベストの成績とされている。

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20代中盤から成績が下降していったグッデン…