元小学校での撮影会に賛同する人は「表現の自由だ」「職業差別をするな」という主張を崩さず、反対する人は「撮影会は性的搾取である」「女性差別だ」と声をあげる。杉並区での陳情を不採択にした議員たちは「AVだからといって全て排除すべきでない」と考え、採択側に立った議員たちは「区の施設ではAV撮影を禁止すべき」と主張する。その対立議論はずっと並行線のまま火花を散らした。

 興味深いことに、杉並区で区民のこの陳情に対して不採択を主張したのは共産党、立憲民主党、公明党の議員らで、趣旨採択が妥当だと主張したのは自民党の男性議員だった。保守だろうがリベラルだろうが女だろうが男だろうが、この手の議論は常に荒れがちだ。というより、リベラルな女性のほうがこの問題では揺れる。朝ドラ「虎に翼」の寅子風に言うならば「ごめんなさい。児童虐待のストーリーは論外だけど、だからといってAVを全否定するのは職業差別だったわ」とか「はて。AV撮影を一律禁止するとは? 表現の自由の毀損にあたらないの?」と真面目に迷うのが、今どきのリベラル女性なのかもしれない。正しくありたい女性ほど、“正しさの地図上”で指針を失いさまようように。

「他人のセックスを観たい」

 そもそも、そんな平凡でシンプルな欲望から生まれたAVは、ありとあらゆる性暴力映像を含む巨大産業として発展してきた。日本はAV生産量も消費量も世界トップクラスで、世界最大級のAVサイト“ポルノハブ”への1カ月の訪問数は日本から約4億もあるのだという。日本のアマゾンの1カ月の訪問数が約5.5億なので、いかにAVが日常化、環境化しているかがわかる数字だ。

“AVは毒のようなもの”

 乱暴だが、いったんそんなふうに考えてみてもよいのではないかと、私は最近考えるようになった。

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AV大国の日本だからこそ