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「男は仕事、女は仕事と家事・育児」の男性優位社会が今も続く理由は、稼ぎ手=男性という性別による役割を前提としていることも大きい。主夫となった記者が、役割によるストレスと妻の苦労に気づいたきっかけとは。AERA 2024年8月26日号より。

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女性が家事・育児などの家族ケアを一手に引き受けることによって、男性は長時間労働を受け入れ、仕事に集中できる。その優越的な地位を会社でも家庭でも保ち続けることをよしとし、さらには手放すのを恐れている男性も多いことだろう。

 男性の優位性を表す上で、最も分かりやすいのは収入だ。政治記者時代の私は、男性が下駄を履いていることに気付かず、「男子たるもの、メインとなって稼いでナンボ」という感覚に完全に呪縛されていた。渡米して、初めて「稼得能力=稼ぐ力」を失い、茫然自失となった。

 同じ思いを抱いたのは、決して私だけではない。

 拙著『妻に稼がれる夫のジレンマ』(ちくま新書)では、スーパーでの買い物時、自分の欲しいモノを一度は手にしたものの、妻が稼いだお金を使うことに躊躇し、棚に戻したり、夫婦げんかの際「今、ニューヨークに住めてるのは、私のおかげじゃん」などと妻から捨て台詞を吐かれ、打ちひしがれた駐夫の姿を描いた。駐夫とは別に、妻の年収が上回り、大黒柱の座を失った自らに悶々とする男性の複雑な意識変容も取り上げた。

 一方で、私自身は仕事の世界とは異なる領域に身を置き、新たな景色も見えてきた。

 食事づくりや洗濯、子どもの習い事の送迎、さらには現地校や習い事の先生向けのクリスマスギフトの用意など主夫業に専念し、渡米前に妻が担っていた役割を追体験。家族を何よりも大切にする米国人の価値観に直接触れ、子どもの迎えで学校に出向く保護者のうち、半数近くが父親である実態も知った。

 そして、日本時代に抱えていたストレスの主体が、実は男性役割を演じようとしていたがゆえの「生きづらさ」であることを知ることとなったのだ。

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夫のモヤモヤ、妻のイライラ