現代の高校野球界の王者と言えば多くの人が大阪桐蔭(大阪)と答えるのではないだろうか。2010年代には2度の甲子園春夏連覇を達成するなど春夏合わせて9度の優勝を誇る。また大阪桐蔭出身の現役NPB選手は21人を数え、出身高校という意味ではトップの数字である。まさに勝ちながらプロ選手を輩出し続けているチームと言える。現在行われている夏の甲子園でも優勝候補の一角と見られており、初戦では興南(沖縄)を相手に5対0で危なげなく勝利をおさめた。
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ただそんな大阪桐蔭も常に夏の甲子園に出場し続けているわけではなく、昨年も大阪大会決勝で履正社に敗れている。逆に力がないと言われていたチームが意外と甲子園で勝ち進むケースも多い。そこで今回は夏の甲子園出場を逃したものの、力のあった大阪桐蔭の世代を探ってみたいと思う。
まず真っ先に思い出されるのは中田翔(現・中日)が3年生だった2007年だ。前年秋の近畿大会では決勝で報徳学園(兵庫)に敗れたものの準優勝。春のセンバツでも2回戦の佐野日大戦で中田が2本のホームランを放ち、準々決勝では優勝した常葉菊川(静岡)と1対2と接戦を演じている。チームの大黒柱はエースで4番の中田で、ピッチャーとしても非凡な才能を発揮していた。
またそれ以外のメンバーを見ても同学年には捕手の岡田雅利(現・西武)、1学年下にも浅村栄斗(現・楽天)と力のある選手が揃っていた。そんなチームに立ちはだかったのが金光大阪のエース、植松優友(元・ロッテ)である。2年夏の大阪大会決勝でも3対4で大阪桐蔭に敗れながらも中田を完璧に封じ込め、3年夏は決勝で3失点完投勝利。中田は結局植松から1本のヒットも打つことはできなかった。ちなみに翌年は浅村の活躍で夏の甲子園優勝を達成しているだけに、植松の存在がなければ2007年も全国で上位に勝ち進んでいた可能性は高いだろう。
2010年以降になると毎年全国で戦えるレベルの戦力を揃えてきたが、意外な結末となったのが2016年の世代だ。この年のチームは前年秋の近畿大会を制し、明治神宮大会でも準決勝に進出。センバツでは早川隆久(現・楽天)を擁する木更津総合(千葉)に敗れたものの、夏も本命と見られていた。しかし蓋を開けてみれば3回戦で関大北陽に敗れ、前年に続いて夏の甲子園出場を逃すこととなったのだ。