“安全パイ男”も心移りする
往年の少女漫画では主人公がこのAくんとの恋愛を成就させるパターンもあれば、Bくんの魅力に気づいてこちらとくっつくパターンもありますが、いずれにせよBくんが主人公を大切に思う気持ち、近くで見守り続けてくれることなどは変わりません。そこが少女漫画のファンタジーたる所以であって、現実はそんなに都合よくつくられていません。誰だって自分の良いところに気づいてくれる人がいいし、若い時に夢中になった、振り向いてはくれないけれど魅力的な相手などは徐々に色あせるものです。ちょうど私たちにとって、刺激的なクズ男の魅力が色あせるように。
この人はどうせきっと何があっても私のことを好きだろうから、今の彼とうまくいかなかったら/三十歳まで独身だったら/ほかに誰も候補がいなくなったら、デートしてみようかな、と思う時、我々は相手もまた変わっていくし成長するし感情が揺れる人間であるということを忘却しています。いわば自分にとって保険のようなものとして相手のことを見くびっているわけです。受験や就活で滑り止めは時に必要ですが、恋愛は一対一の関係であり、向こうが心移りすることが何の不思議も不正もなく起こりうるという点で学校や会社と比べるわけにはいきません。
そうやって相手のことをどうせ……となめている時は、たいてい相手にもどうせあの子は変わらないだろうとか、どうせクズ男に戻るのだろうとか、どうせ優しい男の魅力なんか分からないだろう、と見くびられているものです。自分がなめていた相手に負けたりフラれたりすると、人は想像以上のショックを受けますが、そもそもなめている時点で相手からすれば相当失礼なハナシなわけで、自分が真摯に向き合っていない相手に対して、自分に真摯であってほしいとか揺るぎない気持ちでいてほしいというのは都合がよい思考なのだと思います。